2018年5月10日木曜日

亀田福寿大学にて講師

何度やっても慣れない。大勢の人前で話すのが苦手だ。

自信たっぷりに、堂々と人前で話ができる人を見るとすごいなと思う。笑いや間を取りながら、その場の空気を自在にコントロールしているかのように見える、そんな人をみると「うわぁ、すごいな」と思う。

今年の前半は、取材先を歩いて、取扱店を回って、原稿を書いて、写真を撮って、事務仕事をこつこつとこなして、という日々だった。一人一人と向き合い、ひとつひとつの事を積み重ねていく、そんな仕事がわたしの性分にあっているようにも思う。

しかし本来、目標設定は、事業計画は、逆算思考で、マーケティングは...、しっかりと計画を立てた上で、「積み重ねていく」べきものなんだろうが、いまのところ目の前の仕事やご縁をつないでいくことで背一杯である。鳴かず飛ばず、10年やってこれだ。

「ぬぅ...」と思う。

前置きが長くったので、本題に入る。

亀田市民会館

案内板

2018年5月9日(水)10:00〜11:30、亀田福寿大学で講師を務めてきました。昨年2月も「粟島の島祭り」という演題で講師を務めました。年末頃に、ふたたび事務局の高橋さんから電話があり、「来年も頼むよ。ほら最近、おとなプラスで八海山の山岳信仰とかやったでしょう。今度はそれでさ」と依頼されました。

昨年もお伝えしましたが、新聞3面分の取材はしましたが、それだけで90分講師を務めるのは難しいです。そこで、今年は「八海山の山岳信仰」と合わせて、その前月に取材した「糸魚川・根知山寺の延年 おててこ舞」と今年の1月に取材した「粟島の年祝い」の3本について、取材エピソードを紹介してきました。

参加者は60〜70代を中心とした新潟市江南区亀田地区の高齢者の方々50名強でした。おとなプラス以外にも毎月、まったく違ったテーマで取材、制作を並行しているので内容はかなり忘れています。引っ張り出してきた写真と紙面を見て、思い出しながらの講座になりました。

以下、八海山取材での未使用カットです。

八海山山頂部付近、不動岳

次の峰に登る人も。わたしはここで引き返しました。滑落すれば命はないでしょう

八海山から越後駒ヶ岳を望む

9合目の千本檜小屋

取材は9月後半でしたが、山頂部付近はすでに紅葉がはじまっていました。いま頃はどうなんでしょうか。残雪と新緑を楽しめるのでしょうか。

話しながら気づきましたが、3本に共通するのは「神仏習合」と「芸能と健康長寿」かなと思いました。振り返ってようやく気づくこともありますね。

講座後、受講者の女性から「あの〜、前、ラジオ深夜便に出てました?」と。

・・・なんだろう、だれと似ていたんでしょうか。

そういえば、昨年は講座後に「あの〜、独身ですか?」と...。

娘さんの婿探しをしていたんでしょうか。

また、「おとなプラスいつも読んでます。毎日バラエティに富んだ内容で楽しみにしているの。朝刊に1,000円弱プラスなんてほんとお得。友人らにも勧めてるよ」と話しかけられました。わたしはただの社外ライターですが、日報社の営業をやってるかのようでした...(Life-mag.の営業はどうした)。

受講者の方々の好奇心にすこしでも応えられていれば幸いです。

ありがとうございました。

伊夜日子神社参道(新潟市江南区袋津) 参道脇の蒸気が気になって

岩室地区からは約1時間。せっかく亀田まで来たので、すこし周辺を歩こうと思い、袋津にある伊夜日子神社へ。Life-mag.vol.009で彌彦神社の取材をした際、弥彦灯篭祭りに袋津講中が参加しているのを見て、調べると亀田の袋津にある伊夜日子神社のことを知りました。

袋津にある伊夜日子神社は、この地でもっとも古い旧家の幾野家のオバサが、彌彦神社からもらったお札を祭ったのが始まりだそうです。天香具山命、天照皇大神、建御名方命の3柱の神々をお祭りしています。

伊夜日子神社

参道脇の蒸気と匂いに誘われて、お隣のお店へ。片山商店という味噌屋で、米を蒸しているところでした。1.1kgで570円の標準タイプの味噌を、さきの謝礼で購入。明るい奥様が対応してくれました。また、「迷路のまち袋津を歩く」というマップをもらい、周辺の説明も。

片山商店 お米と味噌のお店です

しばらく話を聞いて、出がけに表の写真撮ってもいいですかと聞くと、「ボロいけどいいよー!」と。わたしはその気取らなさがツボです。落ち着きます。

袋津郵便局

昭和11年に建てられた和洋折衷の旧袋津郵便局。

袋津地区は、路地マニアにはたまらないスポットがたくさんあります。車が通れないような入り組んだ道がたくさんあり、一度、迷い込んだら出られないでしょう。

片山商店の奥様と話になった砂山地区に向かう途中、絶対に素通りできない食堂を発見。

とやま食堂

やきそば(スープ付き)600円。2玉分はあったかな。ラーメンは500円から。

暖簾をくぐると、夜勤明け、または早朝勤務の方なのでしょうか、長靴に作業服を着た男性三人がビールやら焼酎をやっていました。平日の昼、いい時間が流れていました。

ブラタモリでタモリさんが歩いた砂山地区へ

江南区砂山へ

周囲と比べて高く、ここは砂丘の上になります

なだらかに上っています

砂山地区の真ん中の道路に来ると、周辺の田んぼはやや見下ろす感じになります

竹やぶの奥には、こんもりと地形が上がっているのが確認できます

ここ砂山地区は約7,600〜4,800年前にできた「新砂丘Ⅰ」と呼ばれる砂丘の上にある集落です。まだ越後平野や新潟市中心部などが海だった頃、海底にたまっていた砂の層が高まって形成された砂丘です。

ブラタモリでもあったとおり、砂の町としての新潟の原初の地形をいまに伝えるのが砂山地区です。

わたしは12年前、新潟市東区粟山に住んでいて、石山・中野山・粟山などの新聞配達・管理をしていましたが、ここは「新砂丘Ⅱ」と呼ばれ、砂山地区より後(約4,600~1,400年前)にできた砂丘の上になります。

地形の特徴を地名が教えてくれるんですね。

以上、蛇足でした。

この後は亀田を出て、Life-mag.の取扱でお世話になっている「新潟市美術館ミュージアムショップ ルルル」さんに集金業務へ。いつもありがとうございます。

もろもろ細かい仕事を積み重ね、次の仕事へ。