2018年4月20日金曜日

新潟日報『おとなプラス』「浦佐の裸押し合い大祭」「角海浜の船大工から設計士へ山添喜三郎の足跡」

引き続き新潟日報『おとなプラス』で書かせていただいています。直近の二つの記事を紹介します。

3月10日付けでは日本3大奇祭のひとつとも言われる浦佐の裸押し合い大祭を、4月13日付けでは角海浜の船大工から宮城県の設計士となった山添喜三郎の足跡を取材しました。

裸押し合い大祭1

裸押し合い大祭2-3

裸押し合い大祭は実際にわたしもサラシ、ハチマキ、足袋を身につけ、祭りに参加し、取材してきました。寒水に入っての禊も。じつは佐渡鬼太鼓チームと行ったヨーロッパツアーの直後、インフルエンザに罹ってしまい(人生初)、外出可能となったばかりの日が取材となりました。本調子じゃなかったので、ぶり返さななくてよかった...。

浦佐の裸押し合い大祭は、鈴木牧之の『北越雪譜』にも「人気にて堂内の熱するところ燃がごとく」と出てくるお祭りです。牧之の文章では、女性も押し合いに参加していたことが書かれています。

また、前夜祭を取材後、夕飯を食べようとたまたま寄った「居酒屋 野菊」で飲んだ祭りの味・「カジカ酒」も美味しかったです。あとは「タラの煮付け」「大崎菜のおひたし」「ゼンマイの煮付け」も祭りの日の定番料理だそうです。

野菊のカウンター|また機会を作って訪ねたい

取材してみたいなと思ったのは、昨年、柏崎市高柳町門出の小正月の伝統行事・鳥追いを取材したときでした。門出からも裸押し合い大祭に「門出講中」として参加しているらしく、話をしてくれた人の語りぶりにぴんとくるものがあったからです。参加する人がこうも喜びと誇りを持っている祭りとはどんなものだろうと感じたので。

山添喜三郎1

山添喜三郎2-3

山添喜三郎は江戸末期に旧角海浜村(現新潟市西蒲区)に生まれ、船大工から設計士になった人です。明治の文明開化と歩調を合わせるかのような半生を送った人で、明治に入るとヨーロッパに渡り西洋建築を学ぶ機会を得て、帰国後は、紡績工場などの設計を、その後は宮城県土木課に入り、多くの公共建築を手がけました。

山添が設計、施工監督し、1888年(明治21)に竣工した宮城県登米(とめ)市の登米(とよま)高等尋常小学校は国の重要文化財に指定されています。和洋折衷の木造校舎です。その工事の厳しさを物語るエピソードや、建物の特徴などを現地の方から聞かせてもらいました。

山添の設計を実際に施工した大工衆には「気仙大工」が多かったそうです。山添の出身地である角海浜も海岸沿いで平地が少なく農業に適さない地形です。それは気仙大工の出身地域であるかつての気仙郡、いまの陸前高田や大船渡も似ています。

この小学校は、日本海と太平洋の名大工を多く輩出した海岸地域の職人が、北上川の舟運で栄えた内陸の町・登米で力を合わせた仕事です。どんな地形の土地に生まれたかが、その後の生き方に大きく影響を与えた時代だったのかもしれません。

山添に興味を持ったのは、Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】の取材で、角海浜を予定地とした、東北電力巻原子力発電所建設計画をめぐる住民投票を取材した時です。その際、同地出身の山添のことも知り、いつか取材できたらなと思っていました。今回、その機会をいただきました。

お世話になった方々にあらためて感謝します。ありがとうございました。

また、繰り返し付言しますが、原稿作成にあたっては、新潟日報社のデスクの方々にばりばり修正をしていただいて、なんとか仕上げているのが実状です。もしも「よくまとめたな」と思うことがあれば、なによりデスクの方々のお陰だと思って間違いありません。手のかかるライターですが、どうにかついていきたいところです。

以下、他の日の特集の紹介です。

中鯖石(柏崎市)出身の櫻井陽司特集

論説編集委員の野沢さんによる孤高の画家とその絵にひかれギャラリーをオープンした人を訪ねた特集。銀座のギャラリーを何度も訪ね、生地の集落ではなにかヒントはないか聞き込みもやってます。

パブモナリザ特集

佐渡在住の美術家・吉田さんによる老舗スナック「パブ モナリザ」の本間キタ子さん特集。「ママのおっぱい飲みに来いっちゃ」という一文も出て来ます。ここまで書いていいんですね。見習わないと。

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興味のある記事がありましたらぜひどうぞ。