2017年3月13日月曜日

【講演会聴講】里山十帖・岩佐十良さん、美ら地球・山田拓さん

岩佐さん

編集拠点の岩室地区で講演会がふたつあったので聴講してきました。2講演ともいわむろや伝統文化継承館で開催。近場で勉強できる機会はありがたいです。

2017年2月24日(金)15:30〜、「新潟の食と観光、その無限の可能性と大きな課題」と題して「里山十帖」の岩佐十良さんが講演。雑誌『自遊人』の編集者としての顔も。

以下は走り書きにしたメモです。

・人が集まる「リアルな場」が一番のメディア
・社会的なミッションに賛成するのか、反対するのかを問う「共感マーケティング」
・「デザイン的思考」=1.世の中を良くし、面白くしたい、変化させたい、ミッションを決める。2.アイデアスケッチ。3.マーケティング&リサーチ。4.商品化。
・狙った特定の人の興味のあることに連続的に情報を落としていく
・旅館、飲食、商店、観光、農業、行政など広域で連携して地域を盛り上げる
・地域内で誰を狙うのか共通認識を持つこと
・健康と食に興味のある人は発信力が強い
・食と観光を結びつけて発信する
・新潟県は日本百名山の数=全国3位
・自然公園の広さ=2位
・ナスの作付け=1位(品種は23種類以上)
・米の作付け=1位
・枝豆の作付け=1位
・清酒の消費量=1位
・ホテル/旅館の客室稼働率=46位
・ビジネスホテルの稼働率=43位
・県別魅力度ランキング=35位
・外国人が興味を持っているランキング=37位

以上です。新潟は潜在能力はありながらもそれを伝えきれていない現状があり、マーケティングの発想をもって伝えていくべき、といった内容でした。

山田さん

ふたつめは2017年2月28日(火)19:00〜、「クールな田舎をプロデュース〜飛騨古川・美ら地球の挑戦〜」と題して「美ら地球」の山田拓さんが講演。山田さんは、岐阜県飛騨の里山や地域資源を活かしたツアー、宿泊施設を運営している方です。

ふたたび以下に走り書きのメモを。

・10年前に移住した。地域の厳しさも感じている
・飛騨古川は1950年から人口減少している
・集落の存続につながるように、里山をうまく編集して打ち出すこと
・宿の稼働率は70%
・外国人率も70%
・味噌、麹、酒造りなど飛騨の日常の文化自体が魅力
・サイクリングガイドで外国人にカエルが人気
・飛騨の大工さんを半年かけて説得してガイドになってもらった
・ヨソから先生は呼ばない。飛騨人に飛騨のことを学ぶ講座をやっている
・様々な手法で地域の人と接点をつくり、様々な手法で地域外へと発信する機会を増やす
・古い家が取り壊されると景観が崩れる。空家、高齢世帯の現状把握、共有を進めた
・民家の掃除も20数軒やった

山田さんの事業ではターゲットを外国人に設定し、里山をSATOYAMAとして捉え直し、その魅力を発信されているようでした。

ひとつめは、いわむろやさん主催の「地域づくりラボ」という取り組みで、農水省の都市農村共生対流総合対策交付金事業を活用。ふたつめは新潟大学の教授や学生が組織する「みちLab.」の主催で、(一社)北陸地域づくり協会の助成を受けているそうです。ということで、どちらも聴講無料でした。(「ラボ」って流行ってるネーミングなんですかね)

学校町から岩室へ。新潟市の隅っこに移ってからは、どうしてもソトの風に触れる機会が減っていたので、こうした勉強の機会を得られるのはありがたいかぎりです。ただでさえ偏りがちな視野なので、引き続きこういう機会には足を運んで耳を傾けたいところ。

蛇足ですが、28日は聴講後、岩室温泉ほてる大橋に駆け込んで岩盤浴へ。最終入館の21時にセーフ。お正月に格安のチケットを買って以来、最近ハマってます。毒抜き後は、同じく岩室温泉のウインズで珈琲を一杯飲んで帰宅。温泉街まで車で10分っていうのはまた贅沢ですね。

2017年3月12日日曜日

【新潟日報『おとなプラス』】柏崎市高柳の「鳥追い」、津南町秋山郷と『秋山記行』

鳥追い

引き続き、新潟日報社発行の『おとなプラス』に寄稿しています。

2017年1月18日(水)付けでは、柏崎市高柳町門出集落で行われている小正月の伝統行事「鳥追い」を取材しました。農作物を荒らす害鳥を追い払い、その年の豊作を祈る意味があります。

夜明け前から集落の大人や子どもたちが集まってきて、稲藁などを燃やした火を囲み、藁帽子をかぶり、拍子木を鳴らして「鳥追い歌」を歌います。前日から集落の人たちと一緒に茅葺き屋根の古民家に泊まり込んで、取材させていただきました。

囲炉裏端での談笑

「宝引(ほうびき)」という正月の遊びの様子

藁帽子と炎

鳥追い歌を歌う様子

休憩にカップ麺を食べるのが恒例

温かい飲み物などを用意してくれた集落のお母さんたち

この取材のご縁は、昨年8月に宮沙織さんから依頼いただいた仕事[][]にさかのぼります。荻ノ島集落での研修後、ひとり門出集落を訪ねました。そして、門出総合農場の鈴木貴良さんに会い、集落のことや「門出・田代べとプロジェクト」のことなど話を聞かせてもらいました。

その時に「門出和紙の小林康生さんも面白いから、会いにまた来ればいいさ」と言っていたのが頭に残っていたのです。今回の取材にあたってもはじめは門出和紙を取材させてもらえないかと小林さんに電話しました。

すると「この時期に来るなら、鳥追いの取材がいいんじゃない」と逆に提案をいただき取材へとつながっていきました。お陰様で、山あいの農村集落・門出に、農民の祈りを込めて伝え継がれてきた「鳥追い」を取材することができました。

宮さんはじめ、いただいたご縁に感謝します。ありがとうございました。

鈴木牧之『秋山記行』と秋山郷

2017年2月16日(木)付けでは、鈴木牧之の『秋山記行』を参照しつつ、津南町秋山郷を歩いて寄稿しました。

牧之は越後塩沢(南魚沼市)の商人であり、文人でした。雪国越後の暮らしを書いた『北越雪譜』がよく知られています。この『秋山記行』は、江戸の人気戯作者・十返舎一九の勧めで書くことになったようです。

1828年、旧暦の9月8日〜14日までの7日間の旅です。新暦では10月中旬にあたり、すでに肌寒い季節でした。牧之はこの旅で秋山郷の地理や沿革、衣食住から信仰まで、民俗学の草分けと称されるほどの詳細な記録を『秋山記行』にまとめました。

わたしも牧之と同じように中津川沿いを上流に向かって進み、秋山郷最奥地、長野県栄村の切明まで行きました。ただし、牧之が訪ねた季節と違って真冬...。なかなか難易度が高かったです。雪の壁にバックミラーをぶつけてヒビが入りました。

たまたまですが、電話した民宿が牧之も泊まった家でした。これは運がよかった。現在、民宿「苗場荘」として営業している福原家です。母屋の梁は、当時のまま。

この日の宿泊客はわたしともう一人。横浜からきた太田知季さん。夕食時に話してみると同い年ということがわかり、お互いのことを話しながら過ごしました。紙面でもコメントを入れさせていただきました。

また夏場に行ってみたい土地です。

栄村入口

苗場神社

苗場荘で出してもらった餅キビ、餅米、麹を混ぜてつくった飴

母屋の梁

夕食で出た熊肉

炭火で焼いたイワナ

この取材のヒントは昨年末の粟島取材の帰り道にナンダロウさんからいただきました。岩船港から新潟市に帰るときの車中で、『おとなプラス』に寄稿していることをナンダロウさんに伝えると「牧之の『秋山記行』を辿って秋山郷に行くのとかいいんじゃない」と。

こうして書いてみるとわたしは独創的なアイデアの持ち主ではないですね。せいぜい良くいえば、縁あった人に指し示してもらった道を愚直に歩いている、といった感じかな...。

今月は旧巻町から、来月は糸魚川市から題材を見つけて歩く予定です。

2017年3月11日土曜日

【インターン受入】西蒲区稲島の大治聖和くん

大治くん、稲島バス停にて

昨年12月、旧巻町出身で関東圏在住者の親睦団体である「巻ふるさと会」さんからLife-mag.をまとめて注文いただきました。その時、注文を取りまとめてくれたのが大治かな子さんで、雑誌が届いた後も東京での反響や感想などをメールでいただきました。

そして、年が明けて3月頭、「甥っ子をLife-mag.でインターンさせてくれないか」と依頼がありました。角田山の麓、西蒲区稲島在住の大治聖和(マサトシ)くんで、市内の高校3年生。間もなく卒業し、この春からは内閣府に就職。上京する前に地元の会社をいくつか見学したいとのことでした。

1週前は西蒲区松野尾の笹祝酒造さんを見学し、酒米の洗米を体験したそうです。

早速、昨日同行してもらいました。この日は、【西蒲原の農家 編】の取材で近藤さんを再訪。その後、Life-mag.の取り扱いでお世話になっているたんぽぽcafeさんでお昼を食べながら、聖和くんの質問に答え。さらに取り扱いでお世話になっているツバメコーヒーさんに移動して珈琲を飲みながら、マスターの田中さんと談笑。そして、稲島に送り届けて別れました。

今日の夕方にはレポートを送ってくれました。以下に転載します。

インタビュー同行に関するレポート

3月10日、雑誌『Life-mag(ライフマグ)』の編集発行人である小林弘樹さんの取材を見学させていただきました。それらについて、まとめます。

1、小林弘樹さんについて

ライフマグの編集発行人。現新潟市西蒲区和納のご出身で、34歳。埼玉県の大学を卒業後、新潟に戻り就職、その後25歳で一念発起し、ライフマグの制作を創める。以来9年間、様々な出来事がありながらも、一人で編集発行人として作成にあたっており、新潟のまだ見ぬものを日々「発掘」している。

ライフマグについて(発行部数4,000部)


新潟のローカルインタビュー誌で、政治・産業・地域のお祭り――と多様なテーマを取り上げている雑誌。「生き方の多様さこそが、その街の豊かさ」をモットーに、小林さんが取材から編集までを手掛けている。テレビや新聞では、表に出てこないような人たちにスポットをあて、インタビューを通しその人たちの生き様、仕事を描いていく。現在Vol.001〜Vol.009まで販売中。

2、近藤さんへのインタビュー

次に出版する【西蒲原の農家 編】に掲載される、近藤圭介さんへの追加取材をしました。近藤さんは、旧吉田町で「本町きゅうり」を生産、販売している農家さんです。本町を中心に13軒の生産農家が集まり、本町そ菜出荷組合を組織しています。近藤さんもその一員として、活動をされています。組合では、埼玉県の種苗屋さんを招いての勉強会や、お互いのハウスを見学することで、切磋琢磨しているそうです。

・この日のハウスの温度はおよそ20℃、どんなに寒い日でも15℃を下回ることがないように、暖房と温水パイプ(地中に埋めてある)により温めているそうです。
・このシーズンのきゅうりは、特に美味しいらしいです。

3、雑誌作成の様子

インタビューの流れ(一例)

取材先の決定

インタビュー

作成

メールや電話で確認
補足インタビューに行く

作成

確認していただく

完成

□下調べをおこない、「より深い」「突っ込んだ」質問をする
□インタビューの際は、「発見」「驚き」を重視
□インタビューは、一人につき2~3回
□写真はその人の個性が引き出されるような、場所で撮影
□漢字とひらがなで、フォントを使い分けている(かぎかっこ「」、なかぐろ・も微調整する)
□町であった人に声をかけてみることも
□顔のつながりを重視し、日々靴底を減らしながら取材している

4、おわりに

お忙しいところ、お時間を割いていただき本当にありがとうございました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。まず、小林さんとお会いして感じたことは、人と違う観点から、雑誌を作成されていることです。多くの大衆雑誌の内容は、有名人や有名なお店・ブランド、流行アイテムの内容が主です。それに比べて、ライフマグは、決して有名ではないけれど、失ってはいけないもの、知っておかなければならないものである。そのような印象を受けました。きっと、小林さんが取材を続けるなかで得た、ストーリー、それこそが、ライフマグを形づくっているのだと思います。小林さんの、仕事に向き合う姿勢、新しいものを発掘していくという精神、そのすべてが勉強になりました。ぜひ、これからの仕事に生かしていきたいです。


以上です。

近藤さんのハウスにて

半日ほど同行してもらっただけですが、すごくしっかりした高校生だなぁという印象でした。上京して仕事に慣れるまでは大変だと思いますが、まずは元気に仕事を覚えていってもらえたらなと思います。

インターン前日には市内のTSUTAYAさんなど5店舗ほど回ってLife-mag.を買おうとしたらしいですが、どこも棚から下げられていて買えなかったそうです。その姿勢もすごいよ。

当日、Life-mag.を見て「たっつぁん知ってます。有名ですよね」と。聞くと巻北小学校時代に、たっつぁんの「角田山」という歌を毎日、歌っていた時期があったそうです。郷土を題材に歌い続けてきたたっつぁんの歌はこの世代にも歌い継がれているんですね。すごいな...。

就職については「〈政治・経済〉の授業が好きで、国家公務員を志望しました」と。

またツバメコーヒーさんで話していると、

「地形や地理が歴史に影響を与えることってあるじゃないですか。そういうのを知るのがすごく面白い。ブラタモリの視点とか好きです」と。

...。

わたしが高3の時は

「スケートボードカルチャーと音楽ってかさなってくるじゃないですか。トミー・ゲレロが好きです」

くらいしか言えませんでした。学校での勉強にほとんど興味がありませんでしたね。

たとえば数年後、国家公務員という日本一大きな組織に勤め、慣れてきた頃の彼に、地元で小さな雑誌社を切り盛りするわたしの姿はどんな風に思い起こされるのかな。東京でカワイイ彼女を作って、たくましくなった彼に再会できる日がいまから楽しみです。(あぁ、もう田舎のオヤジです)

きゅうりの花。間もなく出荷がはじまります

たんぽぽcafeのランチ。「季節野菜ととうふのマーボー丼」

2017年3月7日火曜日

【粟島編】釜谷八幡社「初卯」、釜谷分校の記憶

神主の舞

八幡社入口の看板。海岸名はアイヌ語の名残でしょうか?要調査

3月4日〜6日まで【粟島編】の取材で粟島に行ってきました。今回の取材はふたつ。ひとつは、釜谷八幡社のお祭り「初卯」の取材です。

釜谷集落に祀られている八幡様は1793年頃(江戸期・寛政年間)、浜で海苔つみをしていた女性2人が拾い上げたといわれています。後にこの神像は、新潟市黒埼の木場集落の氏神であり、これを盗んだ者が金縛りにあい川に捨てたことが判明。その後、木場から集落の人がやってきて神像を持ち帰ろうとするも、持ったとたん足が硬直して動かなくなり断念。木場の人も八幡様が粟島に残りたいということだと思い、粟島の釜谷集落に祀られてきました。近年まで、木場集落の人たちが釜谷八幡社にお参りに来ていたそうです。信濃川を流れ、粟島に流れ着いた神様です。

お祭りの様子を取材させていただきました。

釜谷のお饅頭

またお祭りということで、釜谷で取材させていただいた方のお宅でお昼をいただき、この祭りに蒸かすという釜谷のお饅頭もいただきました。美味しかったです。

分校写真

もうひとつは1995年(平成7年)に閉校した釜谷分校の思い出やエピソードについての取材です。粟島という離島のさらに奥にある小さな校舎で生徒と先生はどんな時間を過ごしていたのでしょうか。あの校舎に流れた時間のなかには「学び」や「育ち」についての本質的な〈なにか〉があったのではないか? そんな勘が働きました。

そうです。

勘です。

その〈なにか〉の答えはまだわかりません...。

この記事は、新発田市で「写真の町シバタ」という取り組みを行っている原 亜由美さんに依頼しました。町中の商店や個人宅などに眠っている写真を町の共有財産と捉え直し、そのエピソードを聞き書きし、商店街に展示する取り組みです。

Life-mag.の納品で新発田に出かけると町中でこのパネルを見る機会があって、良い取り組みだなと思っていました。昨年、事務局の原さんと知り合い、依頼させていただきました。

また原さんは敬和学園大学の地域連携コーディネーターや他にも教育関係のお仕事をされているとのことで、その〈なにか〉に迫るのに適任かなと思いました。

今回の取材に同行してもらって、釜谷分校の卒業生や当時教員として勤務した方への聞き取り、現在の粟島浦小中学校の見学、校長先生への取材などをしていただきました。わたしは案内だけして、取材相手の方とつないだら脇で聞いているというのも新鮮でした。

文科省ウェブ 3/7.2017

このブログを書きながら、教育行政の長である文部科学省のウェブを見てみたら、トップには「文部科学省における再就職等規制違反についての対応」と書かれていました。そして「現行学習指導要領」のページを探すと大きなテーマとして「生きる力」が掲げられています。

法を犯して再就職先を得ながら、「指導」するのは「生きる力」です。

今回、原さんと一緒に釜谷分校の思い出や先生とのやり取りを島の方々から聞かせてもらいましたが、釜谷分校にこそ「生きる力」を育む時間が流れていたのではないでしょうか。原さんから原稿にまとめてもらうので、ここでエピソードは書きませんが。

ほか滞在中には現在、最盛期であるマダラ漁や「あわしま牧場」で子どもたちが餌やりや掃除をする様子を見学させていただきました。

漁を手伝う「おむすびのいえ」の花ちゃん

出荷作業

馬の餌やり、掃除。朝夕と子どもたちが行う

鶏の餌やりも

今回も粟島の方々にはお世話になりました。ありがとうございました。

2017年3月3日金曜日

【西蒲原の農家 編】農家さん回り、長津さん

西蒲原の農家 編】の農家さん回りを続けています。ようやく今週、取材対象として依頼をいただいた13人目の農家さんを訪ねることができました。最後の農家さんは燕市溝古新の米農家さんでした。旧分水町の佐善に隣り合った集落で、西川沿いから弥彦山がよく見渡せました。

ひとくちに「西蒲原」といっても13軒の農家さんが暮らす、13の集落を訪ねるとそれぞれに土地の雰囲気が変わって面白かったです。本文や編集後記などでその辺の感想も盛り込めたらと思います。

「寄居かぶ」を生産する長津さん

写真は先日、原稿の校正で2回目の訪問をした西蒲区竹野町の長津さんです。

長津さんが育てる「寄居かぶ」は、かつて新潟市の寄居地区で約300年に渡って種を継いで、育てられてきた野菜です。今年作った野菜の種を取って、また来年に植えて育てるやり方で、「固定種」と言われています。手間はかかるもののその地域の土に合った品種が生まれる栽培方法です。

寄居かぶの種蒔きは、9月に入って晴れ間が続いた頃。その後、10月の終わりから徐々に収穫が始まります。ひと株ひと株、成長の速度はそれぞれ、形もそれぞれ。人間の側が野菜の成長に合わせて収穫を行います。

寄居かぶの特徴は実がしっかりしていて、煮崩れしにくいこと。豚バラと野菜を一緒に煮込んだ「こっくり煮」。鮭と酒粕、塩麹で煮込んだ「粕煮」などがおすすめとのことです。

あわせて夫婦で半世紀近くに渡って農業を営んできた暮らしぶりも伺いました。

他、誌面のほうは1回目の原稿制作中、2回目の校正確認の訪問がこれから、最終誌面の仕上げ段階などと進捗はばらばらです。取材や編集に楽しみはもちろんありますが、制作が後半戦に入ってくると受け取った言葉や思いの重み、作業の膨大さに心身ともに引き裂かれそうになるのは毎度のこと。今回も最後まで粘っていいものに仕上げていきたいと思います。