2017年7月7日金曜日

新潟大学にて非常勤講師

授業開始前の様子

昨年度に続き、今年度も新潟大学人文学部の「キャリア形成」という授業の2コマを担当しました。人文学部の3、4年生、約200人に向けて、これまでの進路選択や雑誌を作りながら悩み、迷い、決断してきたいくつかのエピソードを話してきました。

6月14日14:40〜の1回目は、主に大学卒業後はじめての就職、社会人生活、「雑誌」という表現に辿り着いた思い、起業までのドタバタなどを話しました。

6月21日14:40〜の2回目は、はじめての取材から創刊へ、その後の人のつながり、休刊から復刊へ、佐渡編取材のことなどを話しました。

授業の主旨は去年の同じですが、いま授業用のノートを振り返ってみると同じことを話したのは半分ほど。こちらの気持ちの変化、学生や教室の雰囲気、担当教授の思いによって変わるもんだなとあらためて思いました。

授業の冒頭に「買ったことはないにせよ、Life-mag.という雑誌が新潟にあることを知っている人〜?」と聞くとゼロ。今年も出鼻をくじかれてのスタートでした。ちなみに「隅から隅まで読まないにせよ、新聞を読む習慣のある人〜?」と聞くと1割くらいでした。

授業で話した内容の一部をブログにも書いておきます。

はじめてのインタビューの時、私はボイスレコーダーのスイッチを入れたら頭が真っ白になって、「アレ? どうすればいいんだろう」としばし固まってしまいました。それは「聞く」ということは、受身の行為(受動)だと思っていたからです。

取材をこなしていくなかで、「聞く」という行為が成立するには、「問う」という能動的な意志表示が必要であることに気づきました。取材に応えて「話す」方が、勝手に好きなことを話すわけではないですよね。

そんなことすらわきまえずに取材を始めていたんです。いまも変わりませんが、まぁ、アホですね。

なぜこの話をしたのか。

それは、授業も同じだと思うからです。

私はどうしてもしゃべりたいことがあって学生の前に立っているわけではありません。時々、出させていただくトークイベントに参加した方は「コバヤシくん、話すの下手っ。授業なんてできんの?」と痛感していることと思います。

では、私はどうやって授業に臨んでいるのか。それは、教授からの依頼、つまり「問い」に対して、精一杯応えようと思って、準備して、教室まで足を運んでいます。

そして、それを「聞く」学生もそれぞれに「問い」を持って聞いてもらえたらなと思っています。既定の枠組みを「疑う」「問う」姿勢は、学問を志す人も社会人にも少なからず必要なことではないでしょうか。

インタビュアーもインタビュイーも、授業での先生と学生も、受動と能動が常に入れ替わりながらそこにあるものだと思っています。

もうひとつは、1週目から2週目の授業の間に出掛けた取材のことです。vol.010【西蒲原の農家 編】の取材で掲載予定の燕市の「下粟生津四季生業図絵馬」についてです。撮影してきたばかりの写真を見せながら、この絵馬についてどんなことを書こうと思っているかを話しました。

この絵馬には、四季の農作業の様子、武士や文人墨客、旅芸人など様々な職業人、多くの動植物が描かれています。約200年前、新潟に暮らした私たちの先祖が、郷土の生業と自然の多様性を願い奉納した絵馬です。

現代の自己啓発本との類似や漢文学者の白川静さんが言う「予祝」などを手がかりに原稿を書こうと思っていることを伝えました。2月の亀田での講演会もそうでしたが、「いま取材していること」について話すのはやっぱり面白いですね。

さらに新潟市西蒲区にかつてあった「鎧潟」で捕った魚を売ることで、昭和8年に創業した割烹渡辺さんの歴史についても紹介しました。鎧潟干拓後に料理屋へと業態を変えて来ました。こちらも【西蒲原の農家 編】に掲載予定です。

授業の最後にvol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】の取材で得た問題意識から、弥彦山系にあった修験の道や神仏分離以前の彌彦神社の信仰の痕跡などについて触れ、「だれか卒論でやってみない?」と呼びかけました。

授業が終わってから数人の生徒が声をかけてくれたのも嬉しかったです。

石川県出身のある学生は「授業を聞きながら考えてたんですが、かつての能登国と加賀国の境界線って大海川だったんですよね。いま暮らしていると意識はしないんですけど」と声をかけてくれました。

「既存の行政区画ではなく、山や川で補助線を引いて編集してみるのも面白い」と授業で話したのに応えてくれたようです。「授業を聞きながら考えてた」というのがとくに嬉しかったです。

ありがとう。

授業には出てなかったんだけど、進路指導の先生が「いま大学内に小林さんがいるから声をかけてみろ」と言われて来た学生もいました。

学生の悩みに具体的で明快な答えを与えることはできなかったと思いますが、なにか一歩を踏み出すときのきっかけになれたらなと願っています。

担当の高橋康浩准教授にお世話になりました。

ありがとうございました。