2017年5月20日土曜日

第30回粟島島びらきレポ3「逢坂山・小柴山トレッキング」

村山さんのレポ3です。[レポ1][レポ2]はこちら。

粟島島びらきレポ、さいごは逢坂山と小柴山のトレッキングについて。
粟島に着いてまず目を奪われたのが、山に咲く山桜と新緑でした。天気にも恵まれたこの二日間はトレッキングに最適な天候。自然と共にむかしから生きてきた人の息吹が感じられるような粟島の自然でした。


まず島びらき一日目、粟島の観光冊子を片手に逢坂山にある「温泉街道」と書かれた道を辿ってみることに。地元の方に聞いて、集落をすり抜けて山の方向へ進んでいくと祠のようなものが。

昔は竹を刈って生業としていたこともあり、山手には多くの竹林があります。そしてさらに進んでいくと石碑がふたつ並んでいます。かなり昔からあるようで、何が書いてあるのかはっきりは分かりませんでしたが、梵字のような文字なのでしょうか…。

ここからさらに高い木々と、足元にも山菜や植物が生い茂った道が続きます。

山の麓にある祠

石碑がふたつ並ぶ

道をスタスタと進んでいく小林さん

道を進んでいくと「温泉街道」と「パノラマ新道」という看板が。どっちを見ても人が頻繁に通るような形跡はないようです。「こっちに行ってみよう」と小林さんの声の元、パノラマ新道へと進むことに。


温泉街道とパノラマ新道の分かれ道

傾斜が急になり、道幅も狭くなってくる道を進むと茂みのなかに不自然な窪みがありました。遠くにはうっすらと集落や海が見えてきて、山頂付近まで来たようです。私たちが通ってきた道を隔てて西からの風をちょうど避けられるように、その窪みはありました。

この辺りで「なんか人が暮らした気配を感じるんだよなぁ」と小林さんが言う

頂上付近にも窪みが

「西風も当たらないし、人が住むにはちょうどいい場所だよね」と小林さんがいうのを聞いて、そこは人の気配を感じる、すこし不思議な空間にみえました。縄文時代からの歴史をもつこの島は、昔から複数の部族が時代をいくつもまたぎ、ここに暮らしていたのかもしれません。

また見晴らしの良いところまでくると、海の向こう側には鳥海山がくっきりと見えます。


出羽富士ともいわれる鳥海山

山形県と秋田県の県境にあるこの鳥海山は、かつて出羽富士とも言われていたようです。快晴の粟島からみる鳥海山はまさに富士山のように綺麗でした。

昔はこの鳥海山から東北地域には蝦夷が暮らし、その境界であったことからも鳥海山の噴火を蝦夷の反乱の前兆ともされていたそうです。蝦夷に所以があるここ粟島と、そこから望む鳥海山。時代とともに抑圧をうけた部族たちは、海を隔てあの鳥海山に自らの「血」からくる郷愁を感じていたのでしょうか。

粟島のひとは、晴れた日に「ほら、今日は鳥海山が見えるね~」とよく言いました。昨年に粟島に来るまでは知らなかった鳥海山でしたが、島で生活するうちに自然と意識するようになりました。

時には天候に悩まされ、船が出せない日もある粟島。鳥海山が見えるような真っ青に晴れる日には船を出し、漁や本島との行き来ができるようになります。鳥海山は、昔からそんな人々の心と共にあったのかもしれません。

山を下り集落まで戻って来たところ、出かけるときには気付かなかったお地蔵さんが私たちの帰りを見守るように佇んでいました。どこかむかしの歴史や人々の息づかいを感じられ、温かい気持ちになりました。

大木の横に小さくお地蔵さんが

島びらき二日目。朝9時に出発し、小柴山にある粟島灯台を目指しました。内浦地区から山の向こう側にある釜谷地区までの広い道路をひたすら歩きます。「まだ続くのかぁ~」と心が折れそうになると「灯台入口」の看板がみえてきました。ここからはコンクリート道路からさらに山道のほうへと登っていきます。

灯台入口

舗装されている道

灯台へはこのように舗装されている道がほとんど。ここでも竹林に囲また景色です。みずみずしく伸びている木々や草花は春を感じさせ、山に吹く風が心地よかったです。山道に入ってから、30~40分ほどあるくと灯台へ到着。

粟島灯台

いまから63年前の昭和29年にこの粟島灯台は作られました。光の届く距離は全国で二位だそう。灯台からは山桜の咲く綺麗な景色がみえました。

この日も鳥海山がくっきりと

佐渡方向を望む

粟島のおばあちゃんから、この灯台の話を聞いたことがありました。建設のため島の人々が背中に建材を背負い、山へ運んだといいます。おばあちゃんたちは、当時20歳前後のころでしょうか。灯台は平成2年に改修が行われていますが、その周りを囲む塀は建設当時に作られたようでした。

息を切らしながら登ってきた道でしたが、島のおばあちゃんたちは私と同じような歳でさらに重い建材をなんども運んだのでしょう。身が引き締まる思いでした。

敷地の囲い

おばあちゃんが昔の島での生活を話してくれるとき、楽しい話だけでなく、当時の辛い思いも表情から伝わります。おばあちゃんたちは、今80歳近くの年齢です。灯台建設当時の島のおばあちゃんたちと私はほぼ同じ年齢ですが、いまの私になにが出来るのかなと考えてしまいます。

一歩山に入ると自然だけでなく、その土地の歴史やかつてここに暮らした人びとの生活が感じられました。地道に少しずつ歩き、あたりを良く見て考えることで気付くことがありました。それは、先を歩く小林さんの背中をみて感じることでもありました。なにが出来るのか、それはもっと先にみえてくる事なのかもしれませんが、まずは色んな土地を少しずつ、地道に歩こうと思います。