2017年5月20日土曜日

第30回粟島島びらきレポ3「逢坂山・小柴山トレッキング」

村山さんのレポ3です。[レポ1][レポ2]はこちら。

粟島島びらきレポ、さいごは逢坂山と小柴山のトレッキングについて。
粟島に着いてまず目を奪われたのが、山に咲く山桜と新緑でした。天気にも恵まれたこの二日間はトレッキングに最適な天候。自然と共にむかしから生きてきた人の息吹が感じられるような粟島の自然でした。


まず島びらき一日目、粟島の観光冊子を片手に逢坂山にある「温泉街道」と書かれた道を辿ってみることに。地元の方に聞いて、集落をすり抜けて山の方向へ進んでいくと祠のようなものが。

昔は竹を刈って生業としていたこともあり、山手には多くの竹林があります。そしてさらに進んでいくと石碑がふたつ並んでいます。かなり昔からあるようで、何が書いてあるのかはっきりは分かりませんでしたが、梵字のような文字なのでしょうか…。

ここからさらに高い木々と、足元にも山菜や植物が生い茂った道が続きます。

山の麓にある祠

石碑がふたつ並ぶ

道をスタスタと進んでいく小林さん

道を進んでいくと「温泉街道」と「パノラマ新道」という看板が。どっちを見ても人が頻繁に通るような形跡はないようです。「こっちに行ってみよう」と小林さんの声の元、パノラマ新道へと進むことに。


温泉街道とパノラマ新道の分かれ道

傾斜が急になり、道幅も狭くなってくる道を進むと茂みのなかに不自然な窪みがありました。遠くにはうっすらと集落や海が見えてきて、山頂付近まで来たようです。私たちが通ってきた道を隔てて西からの風をちょうど避けられるように、その窪みはありました。

この辺りで「なんか人が暮らした気配を感じるんだよなぁ」と小林さんが言う

頂上付近にも窪みが

「西風も当たらないし、人が住むにはちょうどいい場所だよね」と小林さんがいうのを聞いて、そこは人の気配を感じる、すこし不思議な空間にみえました。縄文時代からの歴史をもつこの島は、昔から複数の部族が時代をいくつもまたぎ、ここに暮らしていたのかもしれません。

また見晴らしの良いところまでくると、海の向こう側には鳥海山がくっきりと見えます。


出羽富士ともいわれる鳥海山

山形県と秋田県の県境にあるこの鳥海山は、かつて出羽富士とも言われていたようです。快晴の粟島からみる鳥海山はまさに富士山のように綺麗でした。

昔はこの鳥海山から東北地域には蝦夷が暮らし、その境界であったことからも鳥海山の噴火を蝦夷の反乱の前兆ともされていたそうです。蝦夷に所以があるここ粟島と、そこから望む鳥海山。時代とともに抑圧をうけた部族たちは、海を隔てあの鳥海山に自らの「血」からくる郷愁を感じていたのでしょうか。

粟島のひとは、晴れた日に「ほら、今日は鳥海山が見えるね~」とよく言いました。昨年に粟島に来るまでは知らなかった鳥海山でしたが、島で生活するうちに自然と意識するようになりました。

時には天候に悩まされ、船が出せない日もある粟島。鳥海山が見えるような真っ青に晴れる日には船を出し、漁や本島との行き来ができるようになります。鳥海山は、昔からそんな人々の心と共にあったのかもしれません。

山を下り集落まで戻って来たところ、出かけるときには気付かなかったお地蔵さんが私たちの帰りを見守るように佇んでいました。どこかむかしの歴史や人々の息づかいを感じられ、温かい気持ちになりました。

大木の横に小さくお地蔵さんが

島びらき二日目。朝9時に出発し、小柴山にある粟島灯台を目指しました。内浦地区から山の向こう側にある釜谷地区までの広い道路をひたすら歩きます。「まだ続くのかぁ~」と心が折れそうになると「灯台入口」の看板がみえてきました。ここからはコンクリート道路からさらに山道のほうへと登っていきます。

灯台入口

舗装されている道

灯台へはこのように舗装されている道がほとんど。ここでも竹林に囲また景色です。みずみずしく伸びている木々や草花は春を感じさせ、山に吹く風が心地よかったです。山道に入ってから、30~40分ほどあるくと灯台へ到着。

粟島灯台

いまから63年前の昭和29年にこの粟島灯台は作られました。光の届く距離は全国で二位だそう。灯台からは山桜の咲く綺麗な景色がみえました。

この日も鳥海山がくっきりと

佐渡方向を望む

粟島のおばあちゃんから、この灯台の話を聞いたことがありました。建設のため島の人々が背中に建材を背負い、山へ運んだといいます。おばあちゃんたちは、当時20歳前後のころでしょうか。灯台は平成2年に改修が行われていますが、その周りを囲む塀は建設当時に作られたようでした。

息を切らしながら登ってきた道でしたが、島のおばあちゃんたちは私と同じような歳でさらに重い建材をなんども運んだのでしょう。身が引き締まる思いでした。

敷地の囲い

おばあちゃんが昔の島での生活を話してくれるとき、楽しい話だけでなく、当時の辛い思いも表情から伝わります。おばあちゃんたちは、今80歳近くの年齢です。灯台建設当時の島のおばあちゃんたちと私はほぼ同じ年齢ですが、いまの私になにが出来るのかなと考えてしまいます。

一歩山に入ると自然だけでなく、その土地の歴史やかつてここに暮らした人びとの生活が感じられました。地道に少しずつ歩き、あたりを良く見て考えることで気付くことがありました。それは、先を歩く小林さんの背中をみて感じることでもありました。なにが出来るのか、それはもっと先にみえてくる事なのかもしれませんが、まずは色んな土地を少しずつ、地道に歩こうと思います。

2017年5月14日日曜日

第30回粟島島びらきレポ2「ゲストハウス『おむすびのいえ』宿泊体験記」

村山さんの粟島レポ2です。[レポ1]はこちら。

今回「島びらき」で粟島を訪れた際、宿泊したのがゲストハウス「おむすびのいえ」。

内浦地区の港から歩いてすぐ、民宿や飲食店がいくつか立ち並ぶなかにあります。1階は「勝っちゃん」のお菓子屋さん。その建物の裏手にまわると「おむずびのいえ」の入り口が見つかります。



入口

車や観光客のよく通る道を一本奥に入ると民家が多くなり、島に住む人たちの生活がみられます。「おむすびのいえ」までの道のりはそんな日常が少し感じられるところです。オーナーの青柳花子さんはそんな島の日常やご近所さんとの触れ合いも感じてもらえれば、と言います。

花子さんは新潟市出身で2013年から粟島に住み、島の幼稚園へ勤務。その後クラウドファンディングなどで支援を募り、昨年9月に「ゲストハウス・おむすびのいえ」をオープンさせました。笑顔が印象的な花子さんはいつも島中の人から声をかけられていて、この島がすきで、地域の人ともきちんと関わっているということが伝わってきます。

お手伝いに来ていた河合将吾さんとオーナーの青柳花子さん

1階のダイニングルームにはたくさんのサポーターの方の名前が

昨年、まだ施工途中だった部屋をのぞかせてもらっていました。内装が綺麗になっていく過程は見ていたものの、実際に人が使ったからこそ出る、生活感や雰囲気が強く感じられました。すこし低めの天井も秘密基地へ来たかのようなワクワクを感じます。

2階からは港がよく見えます

私が滞在した日は他にもお客さんが6名ほど。新潟県だけでなく東京からも来ている方が多いのも印象的でした。ほとんどの方が同年代ということもあり、自然と宿泊者同士が集まって夕方から外で一緒に飲んで話して、ゲストハウスに戻るというどこか家族のような時間でした。昨年の民宿アルバイトでの環境とはちがい、同年代の人たちと過ごす時間は新鮮で、なんだか不思議な感じです。

2日の島びらきイベント「粟島Bar」へ行ったあとはゲストハウスのみんなでもう一杯。なぜ粟島に来たのか、それぞれの仕事や趣味の話、島の好きなところなどたくさん話をした気がしますが、後半は記憶が曖昧に…。

お酒とつまみを囲んで、夜はまだまだ続きます

旅がすきで粟島へ来るひと、ぱっと思い立って来た人、初めての方から粟島のリピーターまで。この空間にいるだけで自分が旅をしているかのように、知らない土地や人の話が聞けました。

そして、つぎの日の朝はみんなで朝食を。もらってきたというブリで、なめろうとお味噌汁を作ってくれました! 前日に島の子どもたちからもらってきた、あわしま牧場の卵で卵かけごはんも。思いがけず、ゲストハウスでこんなに贅沢なご飯が食べられて驚きでした…!

みんなで朝食

そして今回宿泊で一緒になった方をすこし紹介します。

棚井さん

1人目は棚井晴奈さん。現在、東京に住む棚井さんは、粟島には今回で3回目だそう。昨年の夏頃に初めてひとり旅をして、泊まった先が「汐見の家」という愛媛県の離島にあるゲストハウス。そこでの宿泊をきっかけに他の離島にあるゲストハウスに興味をもち、探していたところ「おむすびのいえ」の存在をネットで知ったといいます。

東京では仕事に追われる日々のなか、こうして粟島にきてのんびりできることが棚井さんにとってリフレッシュできる時間だと言います。また、粟島で知り合った人をきっかけに現在のお仕事に繋がっているそう。

「すれちがう人とあいさつをしたり、島で採れた食材を食べたりと、ここでの生活は人として自然な生活なんだと思います」と笑顔で話してくれたことがとても印象的でした。

トムさん

2人目はThomas Grathwol(トム)さん。

トムさんはアメリカのミネソタ州出身。5年前からALTの仕事で新潟に住み始めたそうです。現在は英会話スクールを経営し、その傍らバンド活動も行っています。バンド『RAPTOR』(Official Site : http://raptorjp.com/ )ではドラムを担当。トムさん1人でも音楽活動を行っているそうです!

新潟に来たのは5年前。地図を広げて地名や山や川などの名前を覚えていたときに粟島という島があることを知り、いつか行ってみたいと思っていたそうです。「粟島では、漁師さんと港で一緒にお酒をのんだことがすごく楽しかった」といいます。島びらきイベント後には、港でゲストハウス宿泊者と地元の方とで、すでに飲み会が開かれていました。

地元の方たちと港で缶ビール

またこの時期に粟島に来た理由を尋ねると、「朝起きたとき、粟島に行こう! と思ったから」と話してくれました。トムさんとお話する時間は多くありませんでしたが、自身で音楽を作られたり、心で感じたことや思ったことを素直に体現している方なのだろうな、と感じました。

現在、テレビや雑誌で「移住」や「離島」という言葉をよく目にするようになりました。若者が地方や離島に移住することが注目されつつありますが、そこに来る理由としては、誰もが豊かな自然や人との関わりをもった生活に魅力を感じるようになったからなのかもしれません。

オーナーである花子さんは新潟県出身で、粟島への移住者でもあります。

「粟島へは“移住”というより“引っ越し”という感覚。“移住”という大げさな感じではなく、ただ自分が好きな場所に住んでいると思っているよ」と話してくれました。もちろん島で一からのゲストハウスづくりの大変さはあるものの、あくまでも自分が好きな場所で好きなことをしている、といいます。

私自身の意識では粟島を遠く感じていましたが、花子さんの話をきいて距離を近く感じるようになりました。情報だけでなく、その地域に足を運ぶことで本当に感じられることがあり、それがいつの間にか自分の生活に染み込んでいくのでしょう。

2017年5月8日月曜日

【西蒲原の農家編】追い込みとお知らせ

潟の面影を見せる田んぼ

昨年、初冬より取材をはじめた西蒲原の農家さん特集の制作が追い込みに入ってきました。いわむろやの小倉くんから依頼いただいた13人の農家さんの取材はほぼ終えることができました。そこにLife-mag.なりの視点から西蒲原の農業について補足できるような記事を数本入れようと思っています。水路や潟舟を使った農業について、治水、信仰、蒲原平野の成り立ちについてなどです。それから依頼にあった「農家料理」についての記事も予定。

また、今回初めての試みとして付録をふたつ付けたいと思います。ひとつは西蒲原地域のマップです。vol.009では本誌に入れましたが、vol.010では表示域を拡大してA2サイズの付録として挟み込みます。もうひとつは新潟日報社の「otona+」に昨年11月から寄稿した原稿を再構成したA5サイズの小冊子です。これは30ページくらいになるかな。

いま5歳の息子が付録を楽しみに『テレビマガジン』を買って、キュウレンジャーのおもちゃで遊んでいます。自分が子どもの頃を思い返しても、「付録が欲しいから」というのは雑誌を買うひとつの大きな目的だった気がします。今回の付録も童心をくすぐるものになればなと思います。

お知らせが長くなりますが、もうひとつ。

この特集号は、Life-mag.の通巻のなかに位置づけて、vol.010【西蒲原の農家 編】として発行しようと思います。2008年6月の創刊号から10年。やっと...。やっとのvol.010となります。

当初予定より遅れ遅れの進行となりすみませんが、いましばらくお待ちいただけましたら幸いです。

上の写真は今朝5時、弥彦山山頂からの蒲原平野の写真です。潟の面影を見せる田んぼを撮影しようと行ってきました。ただ、わたしが行ったときはワンテンポ遅かったようです...。カメラマンがすでに10人ほど撮影をはじめてました。

どこから撮るのがいいかわからず、昨日の昼間、多宝山〜弥彦山〜妻戸山の山頂を歩いてきました。「頂ニ神廟トテ石ノ小社アリ、此ヨリ國中ノ眺望最モヨシ」と高頭仁兵衛の『日本山嶽志』にあったように(Life-mag.vol.009に記事あり)、彌彦神社御神廟付近から撮るのがいいかなと思いました。今日より30分早く山頂に着くよう、近日中にリベンジ予定です。

昼間の眺め

登山道に現れたヘビ

タムシバ

山の花々を見ながら歩くのはいい気分転換になります。大きなブナもあるんですね。前号の取材時はあまり意識しませんでした。

2017年5月7日日曜日

第30回粟島島びらきレポ1「イベントの様子」

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2017年5月2〜3日と粟島島びらきの取材に行ってきました。以下、村山さんのレポです。
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粟島島びらき レポ1「イベントの様子」

人口370人、新潟県の北西に位置する日本海に浮かぶちいさな島、粟島。粟島では5月2~7日に観光シーズンの到来を告げる「島びらき」が行われました。

春の日差しがあるものの、まだ潮風はつめたく感じるころ。一年のなかでもっとも活気づく日といわれ、新潟県内外から多くのひとが訪れます。

昨年夏にアルバイトで一ヶ月間滞在したこともあり、以前は期待や不安、寂しさなど多くの感情を持ちながらのったフェリーはこの日、おおくの観光客で埋まっていました。

この時期には連休に合わせて粟島に来る常連客のほかにも、釣りやアウトドア、バードウォッチングで来る人も。

島へ近づくと数隻の漁船が大漁旗を掲げて出迎えてくれます。港に着くと、「待ってたよ!」「おかえり」の会話が。なんとなく、「戻ってくる」というこの島独特の雰囲気を感じます。

漁船がお出迎え

港のお出迎え

港近くでは2~3日にメインイベントが開催されました。イベントのほかに、わっぱ煮や屋台などもありお祭りのような活気にあふれています。

大賑わいの屋台

子どもたちが考案したという「いもだこピザ」

歓迎セレモニーでは島の子どもたちによる「さっこい三下がり」「島っこソーラン」が披露されました。

島の小中学生も踊りで歓迎

そして、今年は30回目の島びらきということで餅まきも行われました。縁起のいい「8」にちなんで、投げる餅の数は1回目は288個、2回目は888個でした。島の子どもたちやおばあちゃん達も集まり、予想以上の盛り上がりでした。

餅まきの様子

島にちなんだオリジナル種目(漁具投げ・鯛引き)や抽選会なども。漁具投げでは男性は2キロ、女性は1キロの網をどれだけ遠くに投げられるかを競いました。男性の優勝者は14メートル越え。入賞者には鮮魚のお土産も。島の漁師さんが投げたらどのくらいいくんだろう...。

漁具投げの様子

「あわしま牧場」にいる馬たちの、引き馬体験にも参加。

わたしも馬に乗せてもらいました

フェリーを出迎える漁船に乗ることもできます。大漁旗をたくさん掲げ、フェリーの到着時間に合わせ、いっせいに沖へ。大きな船とは違い、近くで波の感触や潮の匂いを感じたり、人と肩を寄せ合って乗る漁船の良さがあります。
昨年の夏にも漁船に乗せてもらいましたが、天候や波の状態をよみ、ぐんぐんと船を走らせる漁師さんの姿は、本当にかっこいいです。
数々の漁船が島へ来る人を歓迎するようにフェリーまで近づき、港まで併走します。船に乗る人どうし、手を振り合い自然と笑顔に。
船の大迫力に、わたしも一緒に乗っていた男の子たちとひたすら手を振って興奮していました!

漁船から1

漁船から2

そして夜には、今年初の試みというイベント「粟島Bar」へ。わっぱ煮会場に軽食やお酒を提供するブースがあり、さらにステージでは音楽も演奏されています。

粟島Bar

粟島のじゃがいもを使った焼酎「んっぽん」と粟島の山で採れた山椒のカクテルもありました。

最後はみんなで歌って、大盛り上がり

ふと、会場の外へ出てみると島のお母さんたちが「やっぱり、若い子ばっかだね〜」と外から中の様子をしばらく見ていました。たしかに若い人が多くみられる会場でしたが、島のお母さんたちの新しい試みを気にかける姿に、どことなく温かさを感じました。

一気に芽吹く山々や春の新鮮な食材、春の訪れを祝うように、島の人もお客さんも一緒に喜び、みんなで出迎える。その温かい雰囲気が「島びらき」に人々が集まる理由なのかもしれません。

2017年5月3日水曜日

第30回粟島島びらき

粟島港より

5月2〜3日と【粟島編】の取材で島びらきに行ってきました。釣りやバードウォッチング、夏には海水浴、またはなんにもしないでのんびりと。粟島が観光シーズンに入るこの時期、島びらきイベントが開催され、今年で30回目だそうです。7日まで粟島港に入る船に漁船が並走して出迎えてくれます(上写真)

今回の取材は村山亜紗美さんに同行してもらって出かけました。詳細なレポートは追って村山さんに書いてもらってウェブにアップしていきたいと思います。いまのところ3つお願いしてあります。

ひとつは島びらきの様子。歓迎セレモニーや「ぎょリンピック」、乗馬体験、夜の粟島BARの様子。もうひとつは、村山さんが泊まった粟島ゲストハウス おむすびのいえ宿泊体験記。旅人同士の出会いや交流もあったようです。そして、イベントの合間に逢坂山(パノラマ新道)と小柴山(粟島灯台)にも登って来たのでそのレポを予定しています。Life-mag.の取材はとにかく歩かせます。

わたしは昨年の秋口からの取材だったので、島の方々と話すことがほとんどでしたが、今回は旅で来た人とも話せて新鮮でした。ぜひこれからの季節、粟島を訪ねてみるのはいかがでしょうか。

すこしずつですが面識のある方も増えてきて再会と出会いに力をもらっての取材を続けています。

島びらきチラシ


2017年3月13日月曜日

【講演会聴講】里山十帖・岩佐十良さん、美ら地球・山田拓さん

岩佐さん

編集拠点の岩室地区で講演会がふたつあったので聴講してきました。2講演ともいわむろや伝統文化継承館で開催。近場で勉強できる機会はありがたいです。

2017年2月24日(金)15:30〜、「新潟の食と観光、その無限の可能性と大きな課題」と題して「里山十帖」の岩佐十良さんが講演。雑誌『自遊人』の編集者としての顔も。

以下は走り書きにしたメモです。

・人が集まる「リアルな場」が一番のメディア
・社会的なミッションに賛成するのか、反対するのかを問う「共感マーケティング」
・「デザイン的思考」=1.世の中を良くし、面白くしたい、変化させたい、ミッションを決める。2.アイデアスケッチ。3.マーケティング&リサーチ。4.商品化。
・狙った特定の人の興味のあることに連続的に情報を落としていく
・旅館、飲食、商店、観光、農業、行政など広域で連携して地域を盛り上げる
・地域内で誰を狙うのか共通認識を持つこと
・健康と食に興味のある人は発信力が強い
・食と観光を結びつけて発信する
・新潟県は日本百名山の数=全国3位
・自然公園の広さ=2位
・ナスの作付け=1位(品種は23種類以上)
・米の作付け=1位
・枝豆の作付け=1位
・清酒の消費量=1位
・ホテル/旅館の客室稼働率=46位
・ビジネスホテルの稼働率=43位
・県別魅力度ランキング=35位
・外国人が興味を持っているランキング=37位

以上です。新潟は潜在能力はありながらもそれを伝えきれていない現状があり、マーケティングの発想をもって伝えていくべき、といった内容でした。

山田さん

ふたつめは2017年2月28日(火)19:00〜、「クールな田舎をプロデュース〜飛騨古川・美ら地球の挑戦〜」と題して「美ら地球」の山田拓さんが講演。山田さんは、岐阜県飛騨の里山や地域資源を活かしたツアー、宿泊施設を運営している方です。

ふたたび以下に走り書きのメモを。

・10年前に移住した。地域の厳しさも感じている
・飛騨古川は1950年から人口減少している
・集落の存続につながるように、里山をうまく編集して打ち出すこと
・宿の稼働率は70%
・外国人率も70%
・味噌、麹、酒造りなど飛騨の日常の文化自体が魅力
・サイクリングガイドで外国人にカエルが人気
・飛騨の大工さんを半年かけて説得してガイドになってもらった
・ヨソから先生は呼ばない。飛騨人に飛騨のことを学ぶ講座をやっている
・様々な手法で地域の人と接点をつくり、様々な手法で地域外へと発信する機会を増やす
・古い家が取り壊されると景観が崩れる。空家、高齢世帯の現状把握、共有を進めた
・民家の掃除も20数軒やった

山田さんの事業ではターゲットを外国人に設定し、里山をSATOYAMAとして捉え直し、その魅力を発信されているようでした。

ひとつめは、いわむろやさん主催の「地域づくりラボ」という取り組みで、農水省の都市農村共生対流総合対策交付金事業を活用。ふたつめは新潟大学の教授や学生が組織する「みちLab.」の主催で、(一社)北陸地域づくり協会の助成を受けているそうです。ということで、どちらも聴講無料でした。(「ラボ」って流行ってるネーミングなんですかね)

学校町から岩室へ。新潟市の隅っこに移ってからは、どうしてもソトの風に触れる機会が減っていたので、こうした勉強の機会を得られるのはありがたいかぎりです。ただでさえ偏りがちな視野なので、引き続きこういう機会には足を運んで耳を傾けたいところ。

蛇足ですが、28日は聴講後、岩室温泉ほてる大橋に駆け込んで岩盤浴へ。最終入館の21時にセーフ。お正月に格安のチケットを買って以来、最近ハマってます。毒抜き後は、同じく岩室温泉のウインズで珈琲を一杯飲んで帰宅。温泉街まで車で10分っていうのはまた贅沢ですね。

2017年3月12日日曜日

【新潟日報『おとなプラス』】柏崎市高柳の「鳥追い」、津南町秋山郷と『秋山記行』

鳥追い

引き続き、新潟日報社発行の『おとなプラス』に寄稿しています。

2017年1月18日(水)付けでは、柏崎市高柳町門出集落で行われている小正月の伝統行事「鳥追い」を取材しました。農作物を荒らす害鳥を追い払い、その年の豊作を祈る意味があります。

夜明け前から集落の大人や子どもたちが集まってきて、稲藁などを燃やした火を囲み、藁帽子をかぶり、拍子木を鳴らして「鳥追い歌」を歌います。前日から集落の人たちと一緒に茅葺き屋根の古民家に泊まり込んで、取材させていただきました。

囲炉裏端での談笑

「宝引(ほうびき)」という正月の遊びの様子

藁帽子と炎

鳥追い歌を歌う様子

休憩にカップ麺を食べるのが恒例

温かい飲み物などを用意してくれた集落のお母さんたち

この取材のご縁は、昨年8月に宮沙織さんから依頼いただいた仕事[][]にさかのぼります。荻ノ島集落での研修後、ひとり門出集落を訪ねました。そして、門出総合農場の鈴木貴良さんに会い、集落のことや「門出・田代べとプロジェクト」のことなど話を聞かせてもらいました。

その時に「門出和紙の小林康生さんも面白いから、会いにまた来ればいいさ」と言っていたのが頭に残っていたのです。今回の取材にあたってもはじめは門出和紙を取材させてもらえないかと小林さんに電話しました。

すると「この時期に来るなら、鳥追いの取材がいいんじゃない」と逆に提案をいただき取材へとつながっていきました。お陰様で、山あいの農村集落・門出に、農民の祈りを込めて伝え継がれてきた「鳥追い」を取材することができました。

宮さんはじめ、いただいたご縁に感謝します。ありがとうございました。

鈴木牧之『秋山記行』と秋山郷

2017年2月16日(木)付けでは、鈴木牧之の『秋山記行』を参照しつつ、津南町秋山郷を歩いて寄稿しました。

牧之は越後塩沢(南魚沼市)の商人であり、文人でした。雪国越後の暮らしを書いた『北越雪譜』がよく知られています。この『秋山記行』は、江戸の人気戯作者・十返舎一九の勧めで書くことになったようです。

1828年、旧暦の9月8日〜14日までの7日間の旅です。新暦では10月中旬にあたり、すでに肌寒い季節でした。牧之はこの旅で秋山郷の地理や沿革、衣食住から信仰まで、民俗学の草分けと称されるほどの詳細な記録を『秋山記行』にまとめました。

わたしも牧之と同じように中津川沿いを上流に向かって進み、秋山郷最奥地、長野県栄村の切明まで行きました。ただし、牧之が訪ねた季節と違って真冬...。なかなか難易度が高かったです。雪の壁にバックミラーをぶつけてヒビが入りました。

たまたまですが、電話した民宿が牧之も泊まった家でした。これは運がよかった。現在、民宿「苗場荘」として営業している福原家です。母屋の梁は、当時のまま。

この日の宿泊客はわたしともう一人。横浜からきた太田知季さん。夕食時に話してみると同い年ということがわかり、お互いのことを話しながら過ごしました。紙面でもコメントを入れさせていただきました。

また夏場に行ってみたい土地です。

栄村入口

苗場神社

苗場荘で出してもらった餅キビ、餅米、麹を混ぜてつくった飴

母屋の梁

夕食で出た熊肉

炭火で焼いたイワナ

この取材のヒントは昨年末の粟島取材の帰り道にナンダロウさんからいただきました。岩船港から新潟市に帰るときの車中で、『おとなプラス』に寄稿していることをナンダロウさんに伝えると「牧之の『秋山記行』を辿って秋山郷に行くのとかいいんじゃない」と。

こうして書いてみるとわたしは独創的なアイデアの持ち主ではないですね。せいぜい良くいえば、縁あった人に指し示してもらった道を愚直に歩いている、といった感じかな...。

今月は旧巻町から、来月は糸魚川市から題材を見つけて歩く予定です。