2017年8月18日金曜日

本の紹介『町を歩いて本のなかへ』南陀楼綾繁(原書房)

町を歩いて本のなかへ

南陀楼さんがこれまで様々な媒体に書いてきた書評、エッセイ、ルポをまとめた『町を歩いて本のなかへ』が発行されました。

ブックイベントやリトルプレスについて書かれたものや週刊誌などに寄稿した書評、そして、日記と書評をミックスしたような第3部「早稲田で読む」など、どれも引き込まれる文章です。どの文章も客観的な批評ではなく、かならずその本が南陀楼さんの人生にどう影響を与えたか、寄り添ったかが出てくるのがとくに好きです。

ブックイベントについて書かれた第1部「町と本と」では、ニイガタブックライトについての文章も掲載されています。「新潟の一箱古本市の特徴はマニアックな本がよく出ること、いい本なら高めの値段でも買っていくお客さんがいること」との評も。

第2部の書評では新潟に関する本だけでも、『州之内徹 絵のある一生』『クラクラ日記』『北越雪譜』『近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影』などがあります。そして、第4部「本と人と、それから」ではLife-mag.【シネ・ウインド編】に寄稿してもらった「『シネ・ウインド』日記と成しえなかった夢のこと」も再録されています。あとは一緒に行った粟島取材で南陀楼さんが撮った粟島の路地の写真も。

それからわたしが背中を押されたひと段落がこちら。

「もちろん、経済基盤は強いとは云えない。他の仕事で得た資金でかろうじて続いている雑誌もあるだろう。頼りにしていた「場」が突然なくなってしまうこともあり得る。だけど、ひとつの地域に住みながら、そこにある文化、歴史、人などの資源を掘り起こしてかたちにしていく仕事は、たまらなく面白いはずだ」(p.062)

2016年2月に書かれた「いま、地方のリトルプレスは」と題した文章の一節です。

わたしもほんとにそう感じています。

右往左往しながら、9年でやっとこさ9冊を発行。少しずつではありますが、県外の書店さんや読者の方から注文をいただける機会も増えてきました。新潟にはどんな歴史や文化、人物がいるのだろう? とページをめくってもらえるのは、もちろん大きな喜びとやり甲斐です。

しかし、なお大きなやり甲斐は、同じ土地に暮らす読者の方々にこの雑誌が届き、読後、その読者が自分たちの暮らす土地への見え方、見える景色が変わったと言ってもらえる時です。地元という日常の景色に彩りと深みを感じてもらえる雑誌を作れたらなと、そんなことを考えながらページをめくりました。

全408ページ。短い文章が多いのでどこから読んでも面白いです。ぜひ手に取ってみてください。

2017年8月10日木曜日

「石川直樹 この星の光の地図を写す」新潟市美術館

篠田市長(左)を案内中の石川さん(右)

新潟市美術館にて「石川直樹 この星の光の地図を写す」が始まりました。会期は2017年8月10日から9月24日までです。Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】で石川さんに取材させていただいたご縁もあったので、今日の開場式に取材に行ってきました。

市美術館webより

石川さんは国内外の極地を旅しながら、そこで暮らす人と交わり、写真を撮り、文章を残してます。その膨大な旅の軌跡を振り返ることのできる展示会です。新潟市で開催された「水と土の芸術祭2015」への参加を機に撮影された〈潟と里山〉シリーズの展示もあります。

今日は開場式ということもあって、足早に見てきただけですが、この世界がこんなにも驚きと未知に溢れているのかと、好奇心を駆り立てる展示の数々でした。

ルルル

ミュージアムショップ ルルルでも展示会に合わせて石川さんとのコラボ商品が展開されていました。「浮き星」やTシャツ、クリアファイル、「写ルンです」など。写真集や書籍、ポストカードも揃っていました。

f3 webより

また、沼垂のbooks f3では共催企画として「石川直樹 写真展『POLAR 2017』」が9月4日まで開催されています。「写ルンです」で撮影された北極圏の新作作品とのこと。

ちょうど混んでてうまく撮れませんでした。ぜひ行ってください!

新潟の作家・小出真吾くんが終盤、美術館に缶詰状態で設営したという「直樹の部屋」もよかった。実際に使われた道具のひとつひとつ、知恵となり肉となった蔵書の1冊1冊を間近に見ることができます。

美術館からf3へ、ぜひ足を運んでみてください。

開場式テープカット

展示は見応えがあって、ぜひ皆さんにおすすめしたいですが、わたし自身にとっては「わぁ〜、すごかった〜」だけで帰って来れる展示ではありませんでした。

その圧倒的な密度の仕事の数々に触れると「やっぱ悔しいな」とも思います。

見せられっぱなしで、ヤラれっぱなしで。

「お前は新潟にいてどれほどやれてんの?」「どれほどの仕事ができてんのか?」とも自問自答してしまいました。地道に、目の前の仕事でベストを尽くして、まだまだ力をつけていきたいなと思いました。

2017年8月8日火曜日

自伝本の編集、制作を請け負いました

『泥から生まれ、水と土で生きた人生 自伝・井田忠三』

目次、全7章、327頁

幼少期、姉妹との写真

「土方はホソ一丁で日金が入る」。飯場の角にはいつも怪しい酒があった。土方時代の話

結婚写真

地方巡業の力士を泊めたときの話

海外旅行の写真。写真のみのページもあり

漫画や新聞記事なども掲載。雑誌っぽい要素も入れました

本文レイアウト。Life-mag.より大きく、行間もゆとりがあって読みやすいかなと思います


編集、制作を請け負っていた自伝本が先週末、刷り上がってきました。作業の流れや経緯などをブログでも紹介したいと思います。

2016年の年末、郷土史家の斉藤文夫さんから、「友人の井田忠三さんが自伝本を作るのに、あなたに編集をお願いできないか」と電話がありました。正月明けに斉藤さんと一緒に井田さん宅を訪問。2017年3月に作業開始前の打ち合わせを行い、本格的な作業は4月から始めました。

井田さんは、建設業を約20年、その後、岩室村村会議員を約25年務めた方です。現在、82歳。2016年に旭日双光章を受章したことを機に、これまでの半生をまとめることにしたそうです。

その後、みかん箱から溢れるほどの手書き原稿と資料、写真との格闘が始まりました。

担当した作業は以下のような内容です。

著者との打ち合わせ、原稿の整理、打ち込み作業、写真の読み込み、フォトショップでの画像処理、本文レイアウト、装丁、そして印刷会社との打ち合わせ。

本文レイアウトは、フォントの大きさ、字間・行間の幅を微調整しながら、3案ほど作って決めました。

装丁は、著者が筆で書いた文字をイラストレーターでトレースして、配置。写真は野鳥と触れ合っているものを使いました。5案ほど作った中から、方向性を決めて作り込んでいきました。

四六判で327ページ。本文の紙は、カラー写真が多く入っていることもあり書籍用の紙のなかでも白色度の高い紙にしてもらいました。表紙はヴァンヌーボという紙です。

著者との打ち合わせで、お宅に伺ったのは40回ほどでしょうか。電話での細かい打ち合わせ、校正は100回ほどでしょうか。印刷会社さんへ、打ち合わせ、データ受け渡しなどで伺ったのは5回。

井田さんは、気になったことはすぐに解決したいという性格で、細かい連絡、催促が多くありました。自費出版本の制作会社に勤める友人もいて、なんとなく作業のことは聞いたことがありましたが、これほど大変なのかと思い知らされました。印刷会社に頼んだ場合、こういった作業は何人で担当するのでしょうかね...。

今回の印刷は西蒲中央印刷でした。井田さんが議員時代から名刺やポスター、資料などを印刷していて、懇意にしている会社とのことでした。

西蒲中央印刷は、昭和35年に「和納印刷所」として開業。現在、わたしが暮らしている地区です。社長の前山勝さんとの打ち合わせ時、「わたしも和納の生まれです」と話していると思わぬ因縁があることが発覚。

わたしの実家が25年ほど前に新築した時、建て替え期間中に間借りしていた借家が前山さんの旧宅、元和納印刷所だったのです。当時、わたしは小学生で、中二階の小部屋に机を置いて、部屋にしていました。

いまこの記事を書いていて思い出しましたが、借家の窓から脇に停めてあった親の車の上に飛び乗って、そこから乗ろうとしたらドアに指を挟んだことがありました。

バタンとドアを閉じたら、なぜか引っ張られている感覚が...。見ると指がドアに挟まれていて、「こ、こ、これは、指がもげた!!!!」と焦りました。しかし、痛みはありませんでした。運よくドアと車体のごくわずかなスペースに指が入っていたようで、セーフ。遊びに来ていた友達にドアを開けてもらい事なきを得ました。

また、借家暮らしの数ヶ月間は、朝の集団登校の班が変わって、違う友達らと登校していました。生活の移行期の非日常を、前山さんの旧宅にお世話になって過ごしていたのです。

いろいろな縁があるもんですね。

かつて和納で開業した家族経営の印刷会社はいま、国道116号線沿いの津雲田地区に自社社屋を建てて経営されています。年商5億、従業員20名の会社となっています。いや〜、、、すごい。

話が本のことからそれてきたので戻します。

本の内容は、幼少期の思い出や戦争の記憶、荒れた青年期のこと、土方から建設業界で働いたときのこと、議員時代の仕事、地域での文化活動のこと、友人からの寄稿文、昨年の受章記念祝賀会の記録などの7章で構成されています。

個人の記憶ではありますが、郷土史の一断面として残しておくべき内容もありました。戦前、戦中の子どもの遊びや、軍事演習、見送った兵士、集落最後の火葬など岩室、西蒲原地区の暮らしがよくわかる記述もあります。(現新潟市中央区の白山神社でチンピラにボコボコにされて翌朝、学校町通の血液銀行で血を売って電車代を捻出して帰ってきた話も面白い)

ただ、議員という仕事柄もあると思いますが、利害が対立する場面も書かれています。こういう記述でいいのだろうかと迷う場面もありましたが、自費出版の自伝本であり、著者の意向を優先して進めました。

本は、仕事を共にした方々や支援者、友人知人などに配るそうです。わたしも1部いただきました。もしどんな本か見たい方がいたら、問い合わせください。これまで「雑誌」という媒体しか作ったことがありませんでしたが、「本」作りという貴重な経験をさせていただきました。

2017年7月7日金曜日

新潟大学にて非常勤講師

授業開始前の様子

昨年度に続き、今年度も新潟大学人文学部の「キャリア形成」という授業の2コマを担当しました。人文学部の3、4年生、約200人に向けて、これまでの進路選択や雑誌を作りながら悩み、迷い、決断してきたいくつかのエピソードを話してきました。

6月14日14:40〜の1回目は、主に大学卒業後はじめての就職、社会人生活、「雑誌」という表現に辿り着いた思い、起業までのドタバタなどを話しました。

6月21日14:40〜の2回目は、はじめての取材から創刊へ、その後の人のつながり、休刊から復刊へ、佐渡編取材のことなどを話しました。

授業の主旨は去年の同じですが、いま授業用のノートを振り返ってみると同じことを話したのは半分ほど。こちらの気持ちの変化、学生や教室の雰囲気、担当教授の思いによって変わるもんだなとあらためて思いました。

授業の冒頭に「買ったことはないにせよ、Life-mag.という雑誌が新潟にあることを知っている人〜?」と聞くとゼロ。今年も出鼻をくじかれてのスタートでした。ちなみに「隅から隅まで読まないにせよ、新聞を読む習慣のある人〜?」と聞くと1割くらいでした。

授業で話した内容の一部をブログにも書いておきます。

はじめてのインタビューの時、私はボイスレコーダーのスイッチを入れたら頭が真っ白になって、「アレ? どうすればいいんだろう」としばし固まってしまいました。それは「聞く」ということは、受身の行為(受動)だと思っていたからです。

取材をこなしていくなかで、「聞く」という行為が成立するには、「問う」という能動的な意志表示が必要であることに気づきました。取材に応えて「話す」方が、勝手に好きなことを話すわけではないですよね。

そんなことすらわきまえずに取材を始めていたんです。いまも変わりませんが、まぁ、アホですね。

なぜこの話をしたのか。

それは、授業も同じだと思うからです。

私はどうしてもしゃべりたいことがあって学生の前に立っているわけではありません。時々、出させていただくトークイベントに参加した方は「コバヤシくん、話すの下手っ。授業なんてできんの?」と痛感していることと思います。

では、私はどうやって授業に臨んでいるのか。それは、教授からの依頼、つまり「問い」に対して、精一杯応えようと思って、準備して、教室まで足を運んでいます。

そして、それを「聞く」学生もそれぞれに「問い」を持って聞いてもらえたらなと思っています。既定の枠組みを「疑う」「問う」姿勢は、学問を志す人も社会人にも少なからず必要なことではないでしょうか。

インタビュアーもインタビュイーも、授業での先生と学生も、受動と能動が常に入れ替わりながらそこにあるものだと思っています。

もうひとつは、1週目から2週目の授業の間に出掛けた取材のことです。vol.010【西蒲原の農家 編】の取材で掲載予定の燕市の「下粟生津四季生業図絵馬」についてです。撮影してきたばかりの写真を見せながら、この絵馬についてどんなことを書こうと思っているかを話しました。

この絵馬には、四季の農作業の様子、武士や文人墨客、旅芸人など様々な職業人、多くの動植物が描かれています。約200年前、新潟に暮らした私たちの先祖が、郷土の生業と自然の多様性を願い奉納した絵馬です。

現代の自己啓発本との類似や漢文学者の白川静さんが言う「予祝」などを手がかりに原稿を書こうと思っていることを伝えました。2月の亀田での講演会もそうでしたが、「いま取材していること」について話すのはやっぱり面白いですね。

さらに新潟市西蒲区にかつてあった「鎧潟」で捕った魚を売ることで、昭和8年に創業した割烹渡辺さんの歴史についても紹介しました。鎧潟干拓後に料理屋へと業態を変えて来ました。こちらも【西蒲原の農家 編】に掲載予定です。

授業の最後にvol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】の取材で得た問題意識から、弥彦山系にあった修験の道や神仏分離以前の彌彦神社の信仰の痕跡などについて触れ、「だれか卒論でやってみない?」と呼びかけました。

授業が終わってから数人の生徒が声をかけてくれたのも嬉しかったです。

石川県出身のある学生は「授業を聞きながら考えてたんですが、かつての能登国と加賀国の境界線って大海川だったんですよね。いま暮らしていると意識はしないんですけど」と声をかけてくれました。

「既存の行政区画ではなく、山や川で補助線を引いて編集してみるのも面白い」と授業で話したのに応えてくれたようです。「授業を聞きながら考えてた」というのがとくに嬉しかったです。

ありがとう。

授業には出てなかったんだけど、進路指導の先生が「いま大学内に小林さんがいるから声をかけてみろ」と言われて来た学生もいました。

学生の悩みに具体的で明快な答えを与えることはできなかったと思いますが、なにか一歩を踏み出すときのきっかけになれたらなと願っています。

担当の高橋康浩准教授にお世話になりました。

ありがとうございました。

2017年7月6日木曜日

【新規取扱】文学と美術のライブラリー游文舎(柏崎市穂波町)

文学と美術のライブラリー游文舎さんにてLife-mag.の取り扱いをお願いさせていただきました。游文舎は有志の方々が共同で運営するギャラリー兼私設図書館です。展示会やコンサートなどが不定期で開催されています。

6月3日、「北條佐江子展 天詩降る森で」のオープニングパーティにお邪魔して、ご縁をいただきました。北條さんは弥彦村在住の画家で、Life-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】で取材させていただきました。わたしが取材した際に描きかけていた絵も展示され、北條さん独特の生命、自然観、宇宙や神話世界を織り交ぜた世界が広がっていました。

パーティで自己紹介もさせていただき、Life-mag.を初めて知った方もいました。その場で買ってもいただきました。顔を出して、頭を下げて、1部ずつ、ひとりひとりに届けることの大切さと、喜びをあらためて感じました。

ありがとうございました。

パーティの写真を数枚載せます。

游文舎の柴野さん

手にしているのは柴野さんらが編集、発行する『北方文学』です。詩、小説、批評などが載り、現在74号。新潟での雑誌づくりの先輩でもあります。

パーティの様子

右列中程が北條さん。

図書スペース

壁には北條さんの絵「弥彦の杜」。

余興のダンス

北條さんの絵画教室に通っている生徒さんの息子さんによる余興。マイケル・ジャクソンにそっくり。

游文舎の図書スペースをすこし紹介。書店、古本屋、公立の図書館、ブックカフェなど「本」に触れる場所はいくつかありますが、游文舎の私設図書館はここにしかできないことをやっているなと思いました。まぁ、マニアックな本の数々...。

たまたま手に取った本がこちら。

川田喜久治『地図』

原爆ドームのシミを徹底的に撮影した写真集。デザインは杉浦康平。ほかにもたくさん本がありましたが、なぜか異様な雰囲気を感じて手に。

游文舎

柏崎市は新潟市西蒲区から116号線を走って1時間ちょっとでした(時間がなくなって、西山ICから柏崎ICまで高速使ったけど...)。道中、ツバメコーヒーさんに寄って、ベルツのビスコッティを差し入れ用に購入。

游文舎のスケジュールをチェックして、近くに行った際はぜひのぞいてみてください。

2017年7月3日月曜日

斉藤文夫さんを囲む会に参加

写真家で郷土史家の斉藤文夫さんを囲む会に参加してきました。新潟日報の「おとなプラス」にともにライターとして参加している本間大樹さんにお誘いいただきました。

6月某日、同じくライターの古俣慎吾さん、本間さんが参加している「安吾の会」から永田幸男さん、小川弘幸さん、さらに本間さんの東京での仕事仲間である蛭田勇介さんたちとご一緒させていただきました。

14:00に旧庄屋佐藤家に集まるとまず斉藤文夫さんの案内で福井集落を歩きました。福井集落の歴史や自然について話を聞きながら、1時間ほど散策。天保の大火、室戸台風の被害がどうだったか、その痕跡を示しながらの説明はとくに興味深かったです。

忘れなきゃやってられないことも多いですが、あの時の悲劇や悔恨をこうも忘れやすいのかと思うこともしばしば...。天災や事故をゼロにすることは難しいかもしれませんが、被害を最小限にする工夫や知恵の伝承はもしもの時への有効な備えでしょう。ことあるごとにしつこく繰り返す古老の姿勢はさすがだなと思いました。

15:00に佐藤家に戻り、乾杯。斉藤さんの話を聞きながら過ごしました。20:00に福井のホタルを見に再び散策。二次会は岩室温泉のウインズへ。本間さんたちはほてる大橋に宿泊。そして散会となりました。

写真と余興の映像をアップします。

散策の様子

斉藤さんの玩具コレクション

仕出し弁当をつついてお酒を

本間さんは先日、「おとなプラス」に佐渡の羽茂をテーマに寄稿。取材の際に買って来たという加藤酒造店さんと逸見酒造さんの日本酒、大吟醸2本も空に...。会費足りたのかな。



古俣さんによるギター演奏の余興。遠藤実「ふるさとよ ありがとう」。古俣さんは「おとなプラス」で新潟にまつわる「歌」をテーマに寄稿していて、数ヶ月前に遠藤実と内野をテーマに寄稿していました。この日は、地元・内野にちなむ遠藤さんの1曲を披露。

2017年6月21日水曜日

【イベント報告】「リトルプレス鼎談@北書店」に参加しました

イベント後の雑談の様子

6月19日、ニイガタブックライト主催の「リトルプレス鼎談@北書店」に参加しました。このイベントは前日、18日の一箱古本市in現代市の関連イベントとして開催されました。

一箱古本市の仕掛人・南陀楼綾繁さんの進行で、ブリコールの桾沢厚子さん、Life-mag.小林がそれぞれ活動の経緯や思いなどを話しました。

桾沢さんの人生を変えた本との出会い、『昭和の記憶』の制作エピソードははじめて直接聞けました。桾沢さんによる、巻町双書に寄せた河治町長の文章の朗読もよかった。10代の頃から本や雑誌、同人誌にマニアックに関わってきた南陀楼さんの話も面白かったです。

上の写真はイベント終了後、それぞれが持ち寄った影響を受けた雑誌などをめくりながら雑談する様子です。イベント中の写真は後日ブックライトさんのWebにアップされるとのことです。

ブックライトさんの事前告知に「佐藤店長のちょっかいもお楽しみに!」とありましたが、今回イベント中にハッとさせられた一言がこちら。


「小林くんは〈余白〉の人だから」


これは、言葉の響きを大切にするという意味か、聞き手それぞれの解釈の幅を大切にするという意味でしょうか。いやいや、「小林くんあんましゃべんねーな」というシンプルな意味か。どちらにせよ、言われた本人は妙に合点がいく一言でした。

雑誌の発行やなにかのタイミングでLife-mag.も主催イベントを久しぶりにやってみたいのですが、どうにも余裕のない日々を送っています。次号や既刊誌に関わるなにかをテーマに読者との交流をはかりたいのですが...。

そんな思いもあるので、今回のようにイベントに出させていただく機会はほんとうにありがたいです。傍目には出歩く仕事に見えるかもしれませんが、実際のところは、編集、デザイン、納品、経理ほか雑務と、ひとり頭を抱えている時間がほとんどです。読者や旧知の知り合いに直接会える機会は、精神衛生上たいへんありがたいのです。

主催いただいたニイガタブックライトの亀貝さん、スタッフの皆様、受付を手伝ってくれた文旦さん、会場の北書店・佐藤さん、そして参加いただいた皆様、ありがとうございました。

最近、追い込まれて泣き崩れるという夢を見て、「あぁ、いろいろ追い込まれてるのかなぁ」と思っていたのでいい刺激になりました。

以下にイベント前の時間に歩いて撮った写真を載せておきます。

寿湯

岩室駅から越後線に乗って白山駅で下車。15時過ぎに一旦、会場入り。その後、西堀通のクラシックショップ「コンチェルト」の佐藤さんのことろへ。そして「新潟絵屋」の蓮池もも展へ。この日は暑く、午前中からの汗を流してからイベントに出ようと、こんぴら通りの「寿湯」へ向かうも休業中。


金刀比羅神社

ななめ向かいの金刀比羅神社でイベントの無事を祈って参拝。本町通の「いずみ湯」に向かうも月曜休み。古町通の「菊乃湯」は休業中。う〜むと、白山浦の「有馬湯」に向かうと月曜休み。


飛鳥

歩き疲れて、学校町通の「飛鳥」で夜定食700円。がっつりでした。「はい、学生さん。ご飯おかわりしてよ」と学生に間違えられ、不思議な心地よさ。

看板

18時過ぎ、満腹状態で会場戻り。汗を流すつもりが、逆に汗をかいてしまいました。とほほ。

タガヤス堂さんのコーヒー

各種メディアで話題沸騰中の佐渡の羽茂から来たタガヤス堂さんのコーヒーを飲んで、いざ、イベントへ。オケサドコーヒーの豆、美味しかったです。次回の佐渡納品回りの際は、ドーナツも食べたい。

以上です。

2017年6月13日火曜日

【書評】斉藤文夫『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』

『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』

2017年6月11日付け新潟日報朝刊に、斉藤文夫さんの『昭和の記憶 新潟 海の村 山の村』の書評を寄稿しました。県外の方や購読していない方もいるかと思うので、このブログにも載せておきます。

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写真機が〈光〉を写し取る機械であれば、そのシャッターを押し続けた斉藤文夫氏の眼差しは、移り行く時代の〈影〉を見据えていたのではないだろうか。

本書は写真家で郷土史家の斉藤氏の写真集である。60年以上に渡り数十万枚と撮りためてきた中から、昭和40〜50年代を中心に約200枚が掲載されている。
写真集は2部構成となっており、1部は「海の村」と題し旧巻町浦浜・角田浜地区が、2部は「山の村」と題し旧下田村大江・大谷地区の写真が載る。
「海の村」では、真冬や夜明け前の漁、家族が漁を手伝う姿、漁師たちが番屋で昼寝する姿が。「山の村」では、田植え、稲刈り、山菜採り、熊捕り、薪風呂に入浴する姿が載る。さらに祭りや墓参り、生徒一人の冬季分校、浜や川で遊びに興じる子どもたちの傍らでシャッターは押された。

斉藤氏は、自然の豊かさと厳しさに対峙しながら暮らしてきた「海の村」、「山の村」の人びとの姿を「日本人の暮らしの原型」と呼ぶ。かつて日本各地に見られた暮らしである。しかし、撮影からほどなく、浦浜地区の過疎はさらに進み、大江・大谷地区は県営ダムが計画され暮らしそのものが消えた。
その土地の暮らしが消えるとはどういうことか。評者はこう考える。「海の村」、「山の村」に暮らした人びとは土地の自然に相対し、限られた資源をいかに組み合わせて有効なものへと仕立てるのか、脈々と受け継がれてきた暮らしの中には蓄積されたその〈知恵〉があった。撮影された昭和の後半、斉藤氏が予見したのはその〈知恵〉の断絶ではないか。

撮影から40年ほどが経過。斉藤氏の仕事に呼応するかのような出会がこの一冊を生んだ。84歳の斉藤氏と30代の桾沢和典、厚子夫婦との出会いである。桾沢夫婦は「ブリコール」との名義で、地域に受け継がれる生業や手仕事を取材、収集し、ワークショップやトークイベントを通じ、それらをまた次の世代へと伝達、継承する活動を行っている。斉藤氏とは2013年に出会い、親交を深めてきたという。
今回の企画、編集、広報は「ブリコール」が担った。制作費はチラシやインターネットを通じて募り、出版を前に200人以上からの支援が集まった。世代を越えた共感と関心が、海と山の村に育まれた〈知恵〉を後世へと手渡すべくこの一冊を形にしたのだ。

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以上です。

文中にも出てくるブリコールの桾沢さんとは、6月19日のニイガタブックライト主催一箱古本市のトーク「リトルプレス鼎談@北書店」でご一緒します。

今回のトークイベントではこの本の出版経緯や制作エピソードも聞けるといいなと思います(むしろメインの話でも...)。この一冊を生んだのは、斉藤さんのこれまでの実績や人脈もさることながら、ブリコールの企画の打ち出し方、共感の広げ方も大きな力になったと思います。いただいた「リトルプレスについて」というお題への、いま一番ホットな応答になるのではないでしょうか。

にいがたの一冊

「にいがたの一冊」はわたしもよくチェックしているコーナーなので、話をいただいた時は緊張もしました。文末の「のだ」が、なんか偉そーかな、取ろうかなとか、余計なところまで気になるもんですね。

今回の作業の流れはざっとこんな感じでした。

著者、編者の方から、評者を推薦し、仮決めしておく。電話で仮の依頼。新潟日報社のなかで企画が通ると正式に依頼が来る。本文と評者の名前、肩書きを入れて1,000字が目安。著書が手元にあれば2週間、無ければ3週間が原稿の締切だそうです。

2日ほどかけて本をふたたびめくり、自分の中で沸々と湧き上がるもの(=書きたいこと)を観察し、おおよそ入れたいトピックを書き出す。さらに2日ほどかけて本文を書く、そして、削る。1日置いてみて、最後の手直しをする。

といった流れでした。

掲載日のお昼頃に斉藤さんから「おれが寝てるときから電話がなったて。ほかにも友人、知人から電話があった。ありがと」と電話がありました。

いい宣伝になっていればなぁと思います。

原稿の校正は、新潟日報編集局の高内小百合さんにお世話になりました。ありがとうございました。

2017年6月12日月曜日

【イベント案内】「リトルプレス鼎談@北書店」に参加します

ニイガタブックライトWebより

【イベント案内】ニイガタブックライト主催の一箱古本市in現代市の関連イベントとして開催される「リトルプレス鼎談@北書店」に参加します。

一箱古本市の仕掛け人で編集者の南陀楼綾繁さんと、ブリコールの桾沢厚子さんと3人で登壇予定です。お題は「リトルプレスについて」。南陀楼さんには現在編集中の【粟島編】に、桾沢さんからは近刊予定の【西蒲原の農家 編】に岩室温泉の「ギャラリー室礼」や土着ワークショップなどの活動を振り返って寄稿してもらいました。南陀楼さんとは年末に一緒に粟島取材に行ったので、その時のことも紹介できたらなと思います。

以下にニイガタブックライトさんの案内文を転載します。

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小さなメディアだからこそ、できること。

〜地域の人にインタビューする『Life-mag.』の小林弘樹さん。〜土着文化を継承するワークショップや書籍を発行し、生活に根づいたものを再発見/再定義するブリコールの桾沢厚子さん〜30年来、折に触れミニコミや小冊子をつくってきた一箱古本市の仕掛け人・南陀楼綾繁さんの3人が、それぞれの立場から「リトルプレスについて」わいわいと語り合うトークイベントです。
新潟で志のある活動を続けてきた二人と、ベテラン南陀楼さんの掛け合いを(北書店・佐藤店長のちょっかいも)お楽しみに!!

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詳細、申込は以下です。

日 時:619日(19:00
会 場:北書店(新潟市中央区医学町通2番町10-1ダイアパレス医学町)
参加費:1,000円
申 込:北書店(sato@kitashoten.net|025-201-7466|店頭)
詳 細:http://niigatabooklight.com/

なお、一箱古本市は前日18日の10:00〜15:00、新潟市中央区の学校町通りにて開催されます。学校町商店街のイベント「現代市(いまいち)」との同時開催です。本以外にもフリマ、飲食ブースもあります。こちらもあわせてお楽しみください!

2017年5月20日土曜日

第30回粟島島びらきレポ3「逢坂山・小柴山トレッキング」

村山さんのレポ3です。[レポ1][レポ2]はこちら。

粟島島びらきレポ、さいごは逢坂山と小柴山のトレッキングについて。
粟島に着いてまず目を奪われたのが、山に咲く山桜と新緑でした。天気にも恵まれたこの二日間はトレッキングに最適な天候。自然と共にむかしから生きてきた人の息吹が感じられるような粟島の自然でした。


まず島びらき一日目、粟島の観光冊子を片手に逢坂山にある「温泉街道」と書かれた道を辿ってみることに。地元の方に聞いて、集落をすり抜けて山の方向へ進んでいくと祠のようなものが。

昔は竹を刈って生業としていたこともあり、山手には多くの竹林があります。そしてさらに進んでいくと石碑がふたつ並んでいます。かなり昔からあるようで、何が書いてあるのかはっきりは分かりませんでしたが、梵字のような文字なのでしょうか…。

ここからさらに高い木々と、足元にも山菜や植物が生い茂った道が続きます。

山の麓にある祠

石碑がふたつ並ぶ

道をスタスタと進んでいく小林さん

道を進んでいくと「温泉街道」と「パノラマ新道」という看板が。どっちを見ても人が頻繁に通るような形跡はないようです。「こっちに行ってみよう」と小林さんの声の元、パノラマ新道へと進むことに。


温泉街道とパノラマ新道の分かれ道

傾斜が急になり、道幅も狭くなってくる道を進むと茂みのなかに不自然な窪みがありました。遠くにはうっすらと集落や海が見えてきて、山頂付近まで来たようです。私たちが通ってきた道を隔てて西からの風をちょうど避けられるように、その窪みはありました。

この辺りで「なんか人が暮らした気配を感じるんだよなぁ」と小林さんが言う

頂上付近にも窪みが

「西風も当たらないし、人が住むにはちょうどいい場所だよね」と小林さんがいうのを聞いて、そこは人の気配を感じる、すこし不思議な空間にみえました。縄文時代からの歴史をもつこの島は、昔から複数の部族が時代をいくつもまたぎ、ここに暮らしていたのかもしれません。

また見晴らしの良いところまでくると、海の向こう側には鳥海山がくっきりと見えます。


出羽富士ともいわれる鳥海山

山形県と秋田県の県境にあるこの鳥海山は、かつて出羽富士とも言われていたようです。快晴の粟島からみる鳥海山はまさに富士山のように綺麗でした。

昔はこの鳥海山から東北地域には蝦夷が暮らし、その境界であったことからも鳥海山の噴火を蝦夷の反乱の前兆ともされていたそうです。蝦夷に所以があるここ粟島と、そこから望む鳥海山。時代とともに抑圧をうけた部族たちは、海を隔てあの鳥海山に自らの「血」からくる郷愁を感じていたのでしょうか。

粟島のひとは、晴れた日に「ほら、今日は鳥海山が見えるね~」とよく言いました。昨年に粟島に来るまでは知らなかった鳥海山でしたが、島で生活するうちに自然と意識するようになりました。

時には天候に悩まされ、船が出せない日もある粟島。鳥海山が見えるような真っ青に晴れる日には船を出し、漁や本島との行き来ができるようになります。鳥海山は、昔からそんな人々の心と共にあったのかもしれません。

山を下り集落まで戻って来たところ、出かけるときには気付かなかったお地蔵さんが私たちの帰りを見守るように佇んでいました。どこかむかしの歴史や人々の息づかいを感じられ、温かい気持ちになりました。

大木の横に小さくお地蔵さんが

島びらき二日目。朝9時に出発し、小柴山にある粟島灯台を目指しました。内浦地区から山の向こう側にある釜谷地区までの広い道路をひたすら歩きます。「まだ続くのかぁ~」と心が折れそうになると「灯台入口」の看板がみえてきました。ここからはコンクリート道路からさらに山道のほうへと登っていきます。

灯台入口

舗装されている道

灯台へはこのように舗装されている道がほとんど。ここでも竹林に囲また景色です。みずみずしく伸びている木々や草花は春を感じさせ、山に吹く風が心地よかったです。山道に入ってから、30~40分ほどあるくと灯台へ到着。

粟島灯台

いまから63年前の昭和29年にこの粟島灯台は作られました。光の届く距離は全国で二位だそう。灯台からは山桜の咲く綺麗な景色がみえました。

この日も鳥海山がくっきりと

佐渡方向を望む

粟島のおばあちゃんから、この灯台の話を聞いたことがありました。建設のため島の人々が背中に建材を背負い、山へ運んだといいます。おばあちゃんたちは、当時20歳前後のころでしょうか。灯台は平成2年に改修が行われていますが、その周りを囲む塀は建設当時に作られたようでした。

息を切らしながら登ってきた道でしたが、島のおばあちゃんたちは私と同じような歳でさらに重い建材をなんども運んだのでしょう。身が引き締まる思いでした。

敷地の囲い

おばあちゃんが昔の島での生活を話してくれるとき、楽しい話だけでなく、当時の辛い思いも表情から伝わります。おばあちゃんたちは、今80歳近くの年齢です。灯台建設当時の島のおばあちゃんたちと私はほぼ同じ年齢ですが、いまの私になにが出来るのかなと考えてしまいます。

一歩山に入ると自然だけでなく、その土地の歴史やかつてここに暮らした人びとの生活が感じられました。地道に少しずつ歩き、あたりを良く見て考えることで気付くことがありました。それは、先を歩く小林さんの背中をみて感じることでもありました。なにが出来るのか、それはもっと先にみえてくる事なのかもしれませんが、まずは色んな土地を少しずつ、地道に歩こうと思います。

2017年5月14日日曜日

第30回粟島島びらきレポ2「ゲストハウス『おむすびのいえ』宿泊体験記」

村山さんの粟島レポ2です。[レポ1]はこちら。

今回「島びらき」で粟島を訪れた際、宿泊したのがゲストハウス「おむすびのいえ」。

内浦地区の港から歩いてすぐ、民宿や飲食店がいくつか立ち並ぶなかにあります。1階は「勝っちゃん」のお菓子屋さん。その建物の裏手にまわると「おむずびのいえ」の入り口が見つかります。



入口

車や観光客のよく通る道を一本奥に入ると民家が多くなり、島に住む人たちの生活がみられます。「おむすびのいえ」までの道のりはそんな日常が少し感じられるところです。オーナーの青柳花子さんはそんな島の日常やご近所さんとの触れ合いも感じてもらえれば、と言います。

花子さんは新潟市出身で2013年から粟島に住み、島の幼稚園へ勤務。その後クラウドファンディングなどで支援を募り、昨年9月に「ゲストハウス・おむすびのいえ」をオープンさせました。笑顔が印象的な花子さんはいつも島中の人から声をかけられていて、この島がすきで、地域の人ともきちんと関わっているということが伝わってきます。

お手伝いに来ていた河合将吾さんとオーナーの青柳花子さん

1階のダイニングルームにはたくさんのサポーターの方の名前が

昨年、まだ施工途中だった部屋をのぞかせてもらっていました。内装が綺麗になっていく過程は見ていたものの、実際に人が使ったからこそ出る、生活感や雰囲気が強く感じられました。すこし低めの天井も秘密基地へ来たかのようなワクワクを感じます。

2階からは港がよく見えます

私が滞在した日は他にもお客さんが6名ほど。新潟県だけでなく東京からも来ている方が多いのも印象的でした。ほとんどの方が同年代ということもあり、自然と宿泊者同士が集まって夕方から外で一緒に飲んで話して、ゲストハウスに戻るというどこか家族のような時間でした。昨年の民宿アルバイトでの環境とはちがい、同年代の人たちと過ごす時間は新鮮で、なんだか不思議な感じです。

2日の島びらきイベント「粟島Bar」へ行ったあとはゲストハウスのみんなでもう一杯。なぜ粟島に来たのか、それぞれの仕事や趣味の話、島の好きなところなどたくさん話をした気がしますが、後半は記憶が曖昧に…。

お酒とつまみを囲んで、夜はまだまだ続きます

旅がすきで粟島へ来るひと、ぱっと思い立って来た人、初めての方から粟島のリピーターまで。この空間にいるだけで自分が旅をしているかのように、知らない土地や人の話が聞けました。

そして、つぎの日の朝はみんなで朝食を。もらってきたというブリで、なめろうとお味噌汁を作ってくれました! 前日に島の子どもたちからもらってきた、あわしま牧場の卵で卵かけごはんも。思いがけず、ゲストハウスでこんなに贅沢なご飯が食べられて驚きでした…!

みんなで朝食

そして今回宿泊で一緒になった方をすこし紹介します。

棚井さん

1人目は棚井晴奈さん。現在、東京に住む棚井さんは、粟島には今回で3回目だそう。昨年の夏頃に初めてひとり旅をして、泊まった先が「汐見の家」という愛媛県の離島にあるゲストハウス。そこでの宿泊をきっかけに他の離島にあるゲストハウスに興味をもち、探していたところ「おむすびのいえ」の存在をネットで知ったといいます。

東京では仕事に追われる日々のなか、こうして粟島にきてのんびりできることが棚井さんにとってリフレッシュできる時間だと言います。また、粟島で知り合った人をきっかけに現在のお仕事に繋がっているそう。

「すれちがう人とあいさつをしたり、島で採れた食材を食べたりと、ここでの生活は人として自然な生活なんだと思います」と笑顔で話してくれたことがとても印象的でした。

トムさん

2人目はThomas Grathwol(トム)さん。

トムさんはアメリカのミネソタ州出身。5年前からALTの仕事で新潟に住み始めたそうです。現在は英会話スクールを経営し、その傍らバンド活動も行っています。バンド『RAPTOR』(Official Site : http://raptorjp.com/ )ではドラムを担当。トムさん1人でも音楽活動を行っているそうです!

新潟に来たのは5年前。地図を広げて地名や山や川などの名前を覚えていたときに粟島という島があることを知り、いつか行ってみたいと思っていたそうです。「粟島では、漁師さんと港で一緒にお酒をのんだことがすごく楽しかった」といいます。島びらきイベント後には、港でゲストハウス宿泊者と地元の方とで、すでに飲み会が開かれていました。

地元の方たちと港で缶ビール

またこの時期に粟島に来た理由を尋ねると、「朝起きたとき、粟島に行こう! と思ったから」と話してくれました。トムさんとお話する時間は多くありませんでしたが、自身で音楽を作られたり、心で感じたことや思ったことを素直に体現している方なのだろうな、と感じました。

現在、テレビや雑誌で「移住」や「離島」という言葉をよく目にするようになりました。若者が地方や離島に移住することが注目されつつありますが、そこに来る理由としては、誰もが豊かな自然や人との関わりをもった生活に魅力を感じるようになったからなのかもしれません。

オーナーである花子さんは新潟県出身で、粟島への移住者でもあります。

「粟島へは“移住”というより“引っ越し”という感覚。“移住”という大げさな感じではなく、ただ自分が好きな場所に住んでいると思っているよ」と話してくれました。もちろん島で一からのゲストハウスづくりの大変さはあるものの、あくまでも自分が好きな場所で好きなことをしている、といいます。

私自身の意識では粟島を遠く感じていましたが、花子さんの話をきいて距離を近く感じるようになりました。情報だけでなく、その地域に足を運ぶことで本当に感じられることがあり、それがいつの間にか自分の生活に染み込んでいくのでしょう。