2016年3月24日木曜日

[岩室]樋曽山隧道について話を聞きに西蒲原土地改良区へ

このマップに感動中

前回アップした【協賛広告、制作支援のお願い】に対し、お申込が徐々に集まっております。ありがとうございます。

取材〜編集〜デザイン作業の後に広告営業となると、すでにいろいろな意味で擦り切れそうになっていることが多いので、こうしてSNSを通じ、ご支援、ご協力いただけるのはほんとうにありがたいです。

引き続き募集を行っております。弊誌の活動に賛同いただける方からのご支援を心よりお待ちしております。

[詳細]http://life-mag-interview.blogspot.jp/…/03/blog-post_16.html

昨日は補足取材で、[岩室]樋曽山隧道(3本)の役割や機能について話を聞くため西蒲原土地改良区の山賀さんを訪ねました。用水路、排水路の管理、放水路や隧道の管理などを行い、西蒲原一帯の肥沃な農地を支える組織です。

西蒲原土地改良区の管轄は、大河津分水路から北、関屋分水路から南、中之口川から西のエリアです。これは行政区画ではなく、「水系」で決まっています。

この範囲に用排水路が約1200、揚排水ポンプが約400あります。この一帯はもともと土地が低く水害に悩まされていた地域で、長年の治水事業の上に現在の西蒲原があります。

新々樋曽山隧道に結ばれる大通川放水路は大雨のときには[燕]や[吉田]の雨水、生活・事業用排水を流す役割を担っています。そして、[巻]角海浜に放出されています。

そう思うと、角海浜は国の原子力政策だけでなく、西蒲原一帯の農業政策の影響もうけたんだなと思いました。

また最後に、西蒲原土地改良区管轄の治水マップを見せてもらいましたが、これが感動でした! 西蒲原の田んぼがどんな土木技術に支えられているのか、なにかイベントなど企画してもっと多くの人に知ってもらえたらなとも思いました。

そんな土木マニア、いるかな...。

2016年3月23日水曜日

「トキめき佐渡・にいがた観光圏」事業の視察同行

2016年3月18日〜19日に行われた「トキめき佐渡・にいがた観光圏」事業の視察・研修に同行させていただきました。ごく簡単に写真レポートをアップします。

これは観光庁が進める事業で、観光圏とは「自然・歴史・文化等において密接な関係のある観光地を一体とした区域であって、区域内の関係者が連携し、地域の幅広い観光資源を活用して、観光客が滞在・周遊できる魅力ある観光地域づくりを促進するもの」だそうです。

全国的には「八ヶ岳観光圏」「にし阿波~剣山・吉野川観光圏」「海の京都観光圏」などが先進事例としてこれを進めており、新潟県でも「雪国観光圏」が先を行っています。そして、この事業に新潟市と佐渡市も手を挙げ「トキめき佐渡・にいがた観光圏」の形成を進めています。

また、この事業は、研修を受け、観光庁に任命された「観光地域づくりマネージャー」が進めています。新潟市からはDAIDOCOやfoodropのプランナーとして活動する山倉あゆみさん、いわむろやの小倉壮平さん、佐渡市からは佐渡観光協会の佐藤達也さん、デザイナーの伊藤慎太郎さんらが任命されています。

今回の依頼は、インバウンドを促進できるような、佐渡市と新潟市を周遊できるプランはつくれないか、そのための地域資源(観光コンテンツ)の洗い出し、意見出しに協力してもらいたいといったものでした。

以下に研修の行程で撮影した写真をアップします。

元遊郭だったという金沢屋旅館へ

にこやかな笑顔の女将さんが迎えてくれました

敷き布団に射し込む光の加減にエロスを感じます。↑撮影者の故意で撮ってます。実際は味のあるいい旅館です

椎崎能舞台付近から望む加茂湖と金北山
Life-mag.【佐渡編】取材のときはこの近くに居候してました

加茂湖で養殖されている牡蠣殻を使用した牡蠣殻農法でお米をつくる相田ライスファーミングさん

いつも堂々と、熱をもって、わかりやすく説明してくれる相田さん。今回もお世話になりました

加茂湖で牡蠣を養殖しているあきつ丸さんへ

牡蠣の加工場

この牡蠣小屋で料理も食べられます

牡蠣殻の山

長谷寺の住職

大木からエネルギーをわけてもらっています

清水寺

梨の木地蔵。他の参加者は「なんか雰囲気暗いね」と話してましたが、わたしはなんか落ち着きます

夜は新穂大野地区の鬼太鼓の稽古を見学

右のOBの方は竹刀を持っています。叩かないにせよ、厳しい指導が連日連夜続きます




稽古の準備体操。驚愕のやわらかさ!

19日は羽茂大崎そばの会さんの昼食。郷土料理なんですが、なにより贅沢なごちそうです

地域のおかさんたちがテキパキと準備をすすめていました

お見送りシーン。おもてなしの精神に溢れていて、今回、一番感動しました

相川刑務所跡。佐藤さん...、雰囲気ありすぎ

マル秘スポット・虫谷の入江。Life-mag.【佐渡編】の鼓童・山口幹文さんの扉写真はここです!

すべての写真は載せ切れないのでこの辺で終わりにします。宿泊は浦島さんでしたが、浦島さんがかつて無印良品さんと提携してつくった客室などを案内してもらいました。他にも、レストラン清助、京町茶屋、北沢浮遊選鉱所、(婦人倶楽部がいまに出てきそうな)大滝楽舎、ジオサイト小木海岸などに行きました。スケジュールはびっしりでした。

研修後、A4で2枚ほどのレポートを提出しました。内容の一部ですが、

・佐渡市と新潟市の共通項は、「食と農」の豊かさ。「インバウンド」の促進ということであれば、佐渡市は「芸能文化」、新潟市は「お座敷文化」を売りにしていくべき。ただ「鬼太鼓」は観光コンテンツ化していくべきかというと、慎重にするべき。「鬼太鼓」は遠流の島・佐渡で暮らしながら蓄積された鬱憤を晴らすような意味がある気がする。ソトに向けられるものではなく、島民自身のためにやっている意味が強い気がする。地域資源(観光コンテンツ)の掘り出しは、地元の若手にやってもらうべき。Life-mag.【佐渡編】の第2回目をやるなら【佐渡・南部(小木・羽茂・赤泊)編】をやりたい(その章立ても送信)。

といったことを書きました。

佐渡は何度行っても、まったく飽きませんね。もっと知りたいという好奇心がどんどんと湧いてきます。ほんとにまた佐渡の特集号はつくってみたいです。

2016年3月16日水曜日

協賛広告、制作支援のお願い

協賛広告/制作支援のお願い

『LIFE-mag.vol.009【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】』のほぼすべての原稿が揃ってきました。あとは、全体の誌面を整えながら補足を行い、表紙、目次、編集後記などを仕上げていって完成となります。

そこで、最後となりましたが協賛広告、制作支援カンパのお願いです。弊誌の活動に賛同いただける方からの、ご支援、ご協力を心からお待ちしております。何卒よろしくお願い申し上げます。

以下、詳細です。

制作支援
一口:10,000
・発刊後、最新号2部お送りいたします。(送料込)
・巻末の支援者リストにお名前を掲載します。(匿名可)
・法人、個人事業主の方への領収書も発行できますので、その旨お知らせください。
受付は【コチラ

協賛広告・A
広告費:15,000
サイズ:ヨコ91mm × タテ55mm(名刺サイズ)
・誌面にて広告枠をご用意させていただきます。
・会社、お店、イベント、作品などの広告にお使いください。
・広告主さまのお知り合いの方の広告でもかまいません。
・文章、写真データをメールでいただき、2〜3回ほどのやり取りにて、広告枠を制作させていただきます。デザイン、イラストなど凝ったものではありませんので、どうかご了承ください。
・広告主さまの方で制作いただいてもかまいません。
・法人、個人事業主の方への領収書も発行できますので、その旨お知らせください。
受付は【コチラ

協賛広告・B
広告費:30,000
サイズ:ヨコ91mm × タテ137mm(1ページの約1/4|約名刺2枚分強)
・誌面にて広告枠をご用意させていただきます。
・会社、お店、イベント、作品などの広告にお使いください。
・広告主さまのお知り合いの方の広告でもかまいません。
・文章、写真データをメールでいただき、2〜3回ほどのやり取りにて、広告枠を制作させていただきます。デザイン、イラストなど凝ったものではありませんので、どうかご了承ください。
・広告主さまの方で制作いただいてもかまいません。
・法人、個人事業主の方への領収書も発行できますので、その旨お知らせください。
受付は【コチラ

協賛広告・C
広告費:50,000
サイズ:ヨコ188mm × タテ137mm(1ページの半分|約A5サイズ弱)
・誌面にて広告枠をご用意させていただきます。
・会社、お店、イベント、作品などの広告にお使いください。
・広告主さまのお知り合いの方の広告でもかまいません。
・文章、写真データをメールでいただき、2〜3回ほどのやり取りにて、広告枠を制作させていただきます。デザイン、イラストなど凝ったものではありませんので、どうかご了承ください。
・広告主さまの方で制作いただいてもかまいません。
・法人、個人事業主の方への領収書も発行できますので、その旨お知らせください。
受付は【コチラ

協賛広告・特
広告費:200,000
サイズ:ヨコ200mm × タテ280mm(裏表紙一面)
・誌面にて広告枠をご用意させていただきます。
・会社、お店、イベント、作品などの広告にお使いください。
・広告主さまのお知り合いの方の広告でもかまいません。
・文章、写真データをメールでいただき、2〜3回ほどのやり取りにて、広告枠を制作させていただきます。相談の上、弊社で制作するか、外部デザイナーに委託して制作させていただきます。
・広告主さまの方で制作いただいてもかまいません。
・法人、個人事業主の方への領収書も発行できますので、その旨お知らせください。
受付は【コチラ

決済はライフマグ通販サイトとして、普段使用しているBASEにて受付ています。クレジットカード(VISA、MASTER)、コンビニ決済(Pay-easy)、銀行振込み決済で、受付可能です。

「ネットが苦手だ。他のカード会社を使ってる。電話か本人に来てもらいたい。編集室にいくわ」という方はこちらからお問い合わせください。
[連絡先]ライフマグ・小林
[電 話]025-378-3258 
[メール]niigata@life-mag.com 
[住 所]新潟市中央区学校町通三番町555-9

協賛、支援いただきましたお金は次号印刷代金の一部として充てさせていただきます。4月上旬までを募集期間として、60万円を目標に募集させていただけたらと思います。次号は、A4版で、120ページを予定しています。取材先や内容については、ブログ、フェイスブックツイッターにてほぼ公開していますが、再度、当ブログ、SNSで紹介していけたらと思います。4月下旬の印刷仕上がり、その後、県内外の取扱店さまに納品に駆け回ります。長く地域で読み継がれる雑誌となればと思い、現在、まとめの制作段階に入っています。

協賛広告、制作支援のお願いとして、まずは最初の案内でした。ご支援、ご協力のほど、かさねてお願い申し上げます。

2016年3月12日土曜日

ドライブイン野菊の「もつ煮」の撮影へ。大学生の同行もあり

ドライブイン野菊

一昨日は、[寺泊]へ。次号掲載の「土産九品」ページの撮影回りでした。写真は、ドライブイン野菊さんへ「もつ煮」の撮影に訪ねたときのものです。ここの「もつ煮」は、昭和47年の開店当初から地元内外で愛される逸品で、その噂通りでした。「しょっぺ店」好きにはたまらないと思います。おすすめ。

「コバヤシくん写ってるけど、誰が撮ったの?」

取材でお世話になった方と、取材後に記念撮影をさせていただくことはあっても、取材の様子というのはほとんど写真がありません。これはこの日、取材に同行してもらった新潟県立大学の学生の撮影です。

「ライフマグの制作に携わることはできないか、なにか手伝いたい」と申し出をいただき、一度、編集室にきてもらい、この日の同行となりました。一週間ほど前、時間を取って会ってみると「就活のつもりできました!」とのことでした。現状、すぐに人を雇えるような状況ではありませんが、お互いの相性をみながら今後を考えていけたらと思っています。しばらくは見習いということで。

この日は、[岩室]間瀬地区にて原稿の補足確認1件、[寺泊]にて撮影4件、編集後記用のこまかい撮影2件でしたが、わたしは一度もカメラを持ちませんでした。大雑把な指示を出して、すべて学生にお任せしました。誌面でもそのデータを使用するつもりです。

それにしても「任せる」って気持ちがいいですね。「任された」ほうもそうだったといいのですが。

雑誌づくりは、やり甲斐も面白みも充分にあると思いますが、その実際の毎日は、薄暗い編集室で重ねる気の遠くなるような細かい作業の繰り返しで、地味なものです。学生がどのくらいの覚悟で門を叩いたのか、それがわかるにはすこし時間を要することでしょう。

ただ、ちょうどひと回りほど離れた学生の進路選択のひとつとして、ライフマグが対象になったというのはとても嬉しかったです。誰に勧められたわけでもなく、ライフマグのなにかに感化されての行動だと思うので。

2016年3月8日火曜日

ロンドンからのお客さん、ヘアメイクアップアーティスト・宮西 亜季

六曜館(上大川前通・新潟)にて March 7, 2016 at 3:00PM

2月のはじめに一通のメールがきた。差出人は、新潟市西区出身で、現在、ロンドンでヘアメイクアップアーティストをしているという宮西亜季さん。仕事を求めてのメールで、「ライフマグの取材に同行させてもらい取材対象者のメイクをさせてもらえないか」というものだった。

「ヘ? 誰だろう」と驚いたが、次の瞬間、こういうバイタリティって大切だよなと思った。残念ながらライフマグの取材では依頼に沿うことはできないことを伝えた上で、逆に提案した。「新潟出身の若い人で、いまロンドンでがんばってる人に会いました」といったようなブログ記事にならできますよ、と。

3月前半に一時帰国するとのことだったので、「まぁ、会ってみて...。いまの仕事を目指したきかっけや、ロンドンで働くようになった経緯を聞かせてください」と待ち合わせることにした。場所は上大川前通の「六曜館」。いつも自転車で通るたびに気になっていたお店だ。

ふと気づけばいつの間にか、こういう風に果敢に飛び込んでくる若い人を見ると、ついなにかしら出来ることがあればと、世話心のようなものを抱くようになってしまった...。いやいや自分こそまだ何事も成し遂げていないんだけれど。

では、その日のやりとりを以下に。

——ロンドン在住ということですが、ライフマグを知ったのは

今回、新潟に一時帰国するにあたって、地元でもなにかヘアメイクの仕事ができる機会を持ちたいと思って。「新潟 出版」とか「本」とかって検索しまくりました。それで新潟日報さんやWEEK!さんやパスマガジンさんなど10社くらいにメールを送ったんです。

——そのうちのひとつがうちだったと。そういうのって返信はどのくらいあるんですか

半分くらいですかね。でも、条件に合う仕事があったら連絡入れますということで、その先はなかなか難しかったですね。ライフマグさんは、にいがたレポの記事で知ったんです。ひとりでやってるこういう雑誌があるんだぁって。

——ありがとうございます。要望に沿えず、逆に取材をさせていただくことになりましたが。ではでは、本題へ。いまの仕事を目指した経緯は

昔からお化粧や化粧品がとにかく好きだったんです。伊勢丹や三越の化粧品コーナーとかいくととくにわくわくしました。高校を中退して、大検を取って、東京の美容専門学校に3年通いました。

——3年? 長いんですね

そうですね。最初の1年はとにかくデッサンばかりやらされてはじめはうんざりしました(笑)。わたし何しにここに来たんだろうって。おでこの形とか、ほお骨のでっぱりとか、陰影など、顔の特徴をとらえるのに毎日スケッチ。はじめは嫌でしたが、だんだんと好きになりましたね。

——卒業後は

資生堂の販売員の仕事に就くことができ、そこで3年働きました。そして、海外ウェディングのプロデュース会社に転職し、また3年ほど働きました。海外への憧れもあったんですね。その会社では、航空チケットや宿泊の手配、衣装やメイクの打ち合せなどなんでもやりました。

——メイクの仕事に旅行とウェディングを足したようですね。面白そう。

その後、そのままフリーのヘアメイクアップアーティストになってイベント関係、テレビ・音楽関係のお仕事をやりながら2年過ごして、2015年6月からロンドンに移りました。

——なるほどぉ。初対面でしたが、だんだんとわかってきました。ちょっと話がそれますが、メイクの仕事の魅力ってどんなところでしょうか。石ノ森章太郎の漫画で『八百八町表裏 化粧師』というのがあって、江戸時代の話なんですが、貧困やコンプレックスに悩む女性に対して、主人公が化粧をしてあげて、自信をつけさせ、社会の中で一歩踏み出すきかっけをつくるんです。その漫画がすごく面白かったんですが、そういう風に女性(や男性)の背中をすこし押してあげるようなものなのかなぁと思っていますが

そうですね。「自然」なものを好まれる人からみたら「人工」的にも思えるかもしれませんが、わたしもそんな風に思います。メイクをしている時間って、「人にどう見られるか」ではなくて、「自分を好きになっていく時間」だと思うんです。それはおばあちゃんになっても同じですよね。どんな色を使おうか、どんな髪型にしようかを考えて、それをやっていくのって魔法のようじゃないですか。メイクをすることによって、自分に興味を持っていくことの大切が伝わっていったらいいですね。

——東京からロンドンへ行って、どうやって仕事を探すんでしょうか

少ないですが友人・知人のつてだったり、美容室に営業にいったり、それからブログツイッターでロンドンでいま仕事を探していますというのをアップしていったりと。実際に現地のフォトグラファーから連絡をいただいて、仕事にもつながりました。その人はイギリス人と日本人のハーフで、日本語でも検索をかけていて、見てくれたようです。

——すごい行動力。そういうのってほんとにあるんですね。ロンドンでは他にどんな仕事を

美容室の広告制作の時に仕事をいただいたり、イベント関係の仕事だったりですね。あと、日本のミュージシャンで「LADY BABY」って知ってますか

——いや、知らないですね。

オーストラリア人のおじさんアイドルと、日本人の10代の女の子のアイドルグループなんですが、このグループのロンドン公演のときにヘアメイクを担当したこともありましたね。

LADY BABYと
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——ロンドンでのこれからの目標は

まだまだやれてないことがあるので、もっとがつがつ営業をかけていきたいですね。ワーキングホリデービザで滞在していて、イギリスはその期間が2年なんです。残りの期間で映画関係の仕事もやれたらいいですね。

——いや〜、ありがとうございました。だいたいいいところ聞かせていただきました。ちょっとまた振り返るかたちになりますが、東京からロンドンに飛んでいくのってけっこう思い切りがいると思うんですが、きっかけはなんだったんでしょうか

新潟という田舎で育って、やっぱり東京という都会への憧れがあったのと、さらにその先の海外への憧れがあったことですね。東京で仕事はしていましたが、海外へというのは、なかなか思い切れませんでした。でも、病気になって、死を意識したときに、やっぱりやりたいことを思いっきりやっておきたいって思ったんです。

——病気...。聞いてもいいですか。

東京でフリーで仕事をしてた28歳の時だったんですが、ある時、右耳が聴こえなくなってきたんですね。小さな耳鼻科にかかると中耳炎と言われたので、しばらくその薬をやっていました。しかし、それでも症状は改善せず、次第に今度は左耳も聴こえなくなってきました。あれれ、と思い大きな病院に行って検査をしました。その検査の途中で明らかに先生の表情が曇ったんですね。ひぃ〜、ナニ、ナニ? はやく教えてよって。すると「上咽頭に腫瘍があって、ガンかもしれない」って言われました。精密検査のために何度か通って細胞を取ったんですが、これがめちゃくちゃ痛いんです。そして、検査結果が出るまでの3週間、泣きましたね。ずっと。

——結果は

ガンなどの悪性の腫瘍ではなかったので、薬の治療で腫れを抑えていき、しばらく治療を続けていって治りました、というかいまのところはおさまっていますというか。とにかくよかったです。でも、その時に、いつ終わるかわからない人生だし、憧れだった海外で働く夢に挑戦しようと思いました。

——そういう経験があったとは...。それにしても思い切りましたよね。やりたいことをやり切ろうと考えるようになった原体験などありそうですね。高校を中退されたとのことでしたが、学校でなにかトラブルとか、引きこもったとか

いや高校は友人たちとはすごく馴染んでいたと思いますが、高校に行く意味がわからなくなって(笑)。高校に入ってアルバイトはじめたんですが、それがすごく楽しくて。高校生だと時給650円くらいもらえるわけじゃないですか。お金が目的だったわけではないですが、それがすごくやり甲斐を感じて。それにくらべて学校では、聞きたくもない授業を、決められた時間に、決められた机に座って、みんなで同じ方向を向いて過ごさなければいけないじゃないですか。もうまったく意味が見出せなくなっていました。でも友人はいて楽しくやっていたので、「学校を辞めたい」って家族や友人に相談しても、「悩んでるの?」といった意味ではまったく心配されませんでしたね(笑)。

——自分の仕事があるってなによりの生き甲斐かもしれませんね。

その当時に高橋歩さんの本を読んで、歩さんの考え方や生き方に影響されたのもあるかもしれませんね。高校を辞めた17歳の夏に、歩さんが沖縄でやっていたビーチロックハウス(読谷村)という旅人や若い人が集う宿にボランティアスタッフとして行きました。それは原体験になっていますね。とにかくいろんな大人たちと話しました。歩さんは30歳、他のスタッフたちも20代前半くらいで、私もこの人たちの年になったら、こんな風に目をきらきらさせて生きていたいって。スタッフの中に新潟出身のノスケもいて話しました。

——それって岩室温泉のKOKAJIYAを経営している熊倉誠之助さん?

そうです、そうです! 知ってます?

——面識ありますよ〜

すごい偶然。ノスケは当時23歳だったと思いますが、いろんな話を聞かせてもらい、憧れの大人でした。その後、ノスケが「Cafe&Barl RitMo」(那覇市)をオープンさせたときにも一度、遊びにいったことがありますよ。
それから、青山小学校時代の同級生で坂爪圭吾くんっていて、「イバヤ」という活動をやっているんですが、彼の生き方にも影響を受けていますね。

——なるほどぉ。では最後にロンドンに行ってみて、地元・新潟に対する価値観とか見え方に変化はありましたか

ずっと都会への憧れがありましたが、もうすこし地元のことを知ってもいいなかぁという心境の変化はあります。小さなお店や町の景色とか、ふと立ち止まって見る瞬間が増えた気がしますね。
あと、それから3月19日には内野駅前のイロハニ堂さんで「いろいろカーニバル新潟」というイベントを企画しました。地元でもすこし動いてみようかなと思っています。

——私は中学高校とスケートボードカルチャーで育ったので、ずっとアメリカ西海岸への憧れがありましたね。結局、生まれた新潟の町から離れずに、こつこつこつこつと雑誌づくりをやっていますが。今日はありがとうございました。

以上です。



まとめとして以下にすこしだけ。

近年、地方都市では生活環境の豊かさなどを宣伝文句にして、U・Iターンを勧める事業を行政機関が行い、テレビ、新聞、雑誌がそれを煽動している。しかし、宮西さんのような道を志すなら、新潟には戻ってきて欲しくはない。ソトに出られる環境があるのなら、地元に戻ってきてぬくい思いはしてもらいたくないと思った。これはインタビュー後に本人にも伝えたことだけど。

眼の奥に覚悟の揺れを感じた。

率直な感想はこうかもしれない。だからこそ最後に一言だけ付け加えたい。

私もときどき東京に出ると、街を闊歩する人たちを眺めているだけで、なぜか田舎者の引け目を感じたり、東京で活躍する人たちに対して無駄な嫉妬を感じたりする。

田舎ではなく、海外に憧れ、刺激を求めメイクアップアーティストという世界でもし本当に生きていくのなら、激烈な思いを持って、競争と努力を重ね、運を磨きつづけなければならないんだと思う。それならば、田舎者の私たちにできるのは、「地元は落ち着くろぉ? 戻ってこいばいいねっかぁ」という言葉がけではなく、退路を絶つような態度なんだろうなと思う。

ぜひ、がんばってもらいたいからこそ。

ここに残したこのやりとりが、都会と田舎の間で揺れ動く、同世代の人たちにわずかなエールとなれば、とも願ってます。

珈琲 六曜館
以下はボーナストラックということで。

この日、訪ねた六曜館は、マスターが27歳の時に開店、現在、37年目だそうだ。天井を2回、床を3回張り替えた以外は、ほぼ当時のまま営業を続ける。店内での撮影許可をとると、柔和な表情で快諾いただいた。

「この町のクラシック」

六曜館は新潟の町にひとつの景色のように染み込み、溶け込んでいるように感じた。去年の9月、成宮アイコさんに会ったシャモニーにも似た印象をもっているが、私の雑誌づくりもそんな風に、新潟の町にあって、クラシックなものを目指せたらなと思った。

それから、なにか女性に会う機会があると、いわゆる「カフェ」ではなく「喫茶店」を待ち合わせ場所にしてしまうのはなぜだろうか、落ち着くなぁ。

2016年3月6日日曜日

【新規取扱】本屋Title(桃井・東京)にて

本屋Title

先日、東京に出た際に「本屋Title(タイトル)」さんを訪ねて、取り扱いのお願いをさせていただきました。2016年1月10日に開店した新しい本屋さんです。

大きな本屋さんではありませんが、棚のひとつひとつがまさに〈超・濃厚〉で、長居間違いなしです。店主・辻山さんの開店前のタンブラー(http://title-books.tumblr.com/)には、「働き方」や「お店づくりとは」に関する様々なヒントが。またお店のウェブサイト(http://www.title-books.com/)でも現在の情報が発信されています。

少部数ですが、【佐渡編】【燕三条編】【シネ・ウインド編】【日本海編】を置かせていただきました。新潟から発信される土臭い雑誌が、東京に暮らす人たちの琴線に触れられるよう願っています。どうぞよろしくお願いいたします。



◯帰り道用に文庫本を一冊購入。手のひらが沈み込むような質感のブックカバー。
タイトルさんのカバー

◯タイトルさんの2月12日付けのツイート。わたしもこんな雑誌づくりができたらなと共感。


◯また宣伝もしていただきました。ありがとうございます!

2016年3月4日金曜日

英太郎さん撮影と原稿の校正でふたたび東京へ

国立劇場入口

[弥彦]出身の劇団新派の役者・英太郎さん初回取材の模様の舞台写真の撮影、原稿の校正で東京に出ていました。今朝、新潟に戻ってきました。

昨日から、国立劇場で「遊女夕霧/寺田屋お登勢」の公演がはじまり、その前日リハーサルを撮影、終了後、原稿の校正確認をしていただきました。6ページの掲載予定です。

泊まって、初日の舞台も観賞。英さんは「寺田屋お登勢」で坂本龍馬(中村獅童)の姉・乙女さんで登場しました。わたしは演劇初心者ですが、ぐっと引き込まれ、楽しめました。3月27日までの開催です。ぜひ。

[詳細]http://www.shochiku.co.jp/shinpa/pfmc/1603/

平河天満宮

帰り道に平河天満宮を通りかかったのでお参り。梅が咲いていたので、ぼーっとながめてきました。どうか新刊が好評となりますように。