2016年12月31日土曜日

新潟日報「おとなプラス」に寄稿しています

2016年11月1日創刊の新潟日報「おとなプラス」に外部ライターとして寄稿しています。タブロイド版紙面の1〜3面がひとつの特集になっていて、ひとりの記者または外部ライターが担当しています。

報道部第二部長の中村茂さんからお声がけいただきました。最初の説明は8月8日。その後、9月2日に全体説明を受け、企画、取材へと進んでいきました。

創刊から2ヶ月、わたしが担当したのは3回です。

粟島のお祭り

11月7日付け(8日配達地域もあり)の粟島の島祭り。Life-mag.の取材と重ねてやらせていただきました。経費的にもありがたい機会でした。祭り当日の未明から太鼓を打ち鳴らし、「おこわをふかせ!」と集落を練り歩く「ヤレカカ」が新潟日報紙上に登場したのは初めてだったそうです。内浦、釜谷両地区のお祭りを取材しました。

Life-mag.で書きたかったことをほとんど書いてます(笑)。

国上山の良寛

11月30日付け(12月1日配達地域もあり)の国上山の良寛。Life-mag.【燕三条編】や【寺泊・弥彦・岩室・巻 編】でかすりはしたものの、真正面から書くのは初めてでした。自分で提案したテーマでしたが、語り尽くされてるテーマでもあり、自分なりの視点を見つけるのに苦労しました。取材をして、原稿を書き、良寛の歌に出入りしてみると、その存在がぐっと身近なものになりました。

良寛については多くの作家、研究者が〈良寛論〉を書いていますが、基本的なことをおさえたら、歌集をめくって、江戸後期の蒲原平野に暮らした人びとの悲喜、国上山周辺の移ろう四季に自分なりに思いをはせて楽しむのをおすすめします。

取材でお世話になった燕市の「里山 花とみどりの会」増田道男さんが、ガイドを務める国上山のトレッキングツアーも面白そうです。

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問合:燕市観光協会(http://tsubame-kankou.jp/
「工場」も盛り上がってますが「自然」も燕市の魅力ですね〜。

山北の食文化

12月21日付け(22日配達地域もあり)の山北の食文化。粟島取材で出会った粟島浦小中学校の星和富校長から、「山北に面白い人(加藤英人さん)がいるから訪ねてみるといいよ」と紹介いただいたことにはじまります。その後、編集会議のときに新潟日報の野沢達雄さんから、「小林くん、山北に興味あるならこんなツアーあるよ」と紹介いただき、取材へと繋がっていきました。Life-mag.と同じで「ご縁を結んで歩いていく」そんなスタイルでこちらも取材をすすめています。

村上市街までは知り合いを訪ねて行ったことがありましたが、山北は初めてゆっくり訪ねました。わたしの企画の絞り方が甘かったこともありますが、3ページの紙面ではまだまだ山北の魅力は伝えきれませんでした。個人的にまた訪ねたいです。

一部60円で、県内約200店舗の新潟日報販売店「NIC」で買えます。ただ、すべてのNICがバックナンバーを保管しているかどうかは未確認です。要問合。

以上です。

基本的には、3ページ分の企画、取材、撮影をひとりで担当しますが、新潟日報報道部の笹川克年さん、阿部義暁さんに適宜アドバイスをいただきながら紙面を作っています。散らかりがちなわたしの文章に的確なアドバイスをいただいています。お二人にみてもらうとだら〜りとしていたわたしの原稿が、ピシャリと音を立てて整うようです。この作業は新鮮ですし、かなり勉強になります。

年明けからは柏崎や津南方面を取材予定です。2017年前半は、vol.010【粟島編】、いわむろやさんから依頼いただいた【西蒲原の農家 編】などの仕事も並行していて、あちらこちらを動き回ることになりそうです。

それから蛇足ですが、わたしは10年前は新潟日報の配達店「NIC」に勤めていて、新聞配達、営業(拡張という)、給与計算、折込指示などの仕事をしていました。10年後にその紙面を作ることになるとは思ってもみませんでした。

当時を思い出すと、現場の〈肝っ玉〉おばちゃんスタッフたちは、地域のお客さんたちと日頃からの挨拶を重ね、顔をつないで、頭を下げて、1部の契約を取ってきていました。2016年10月の新潟日報夕刊発行部数は、約29,000部だったそうですが、11月のリニューアル時には、約42,000部になったそうです。

その1部1部の契約の裏に、どれほどの時間と労力が注ぎ込まれたのかを思うと、あらためて気を引き締めなければなりません。11月1日、新潟日報本社ビル「メディアシップ」で行われた創刊パーティに出席させていただきましたが、NICのおばちゃんたちの現場での奮闘ばかりが頭に浮かんで、なんだか居心地が悪かったです。華やかな席に慣れていないだけかな...。

話をもとへ。他の記者さん、ライターさんの原稿には学ぶべき点が多く、取材執筆の度に自身の力不足を痛感させられる機会になっています。来年以降もいい記事が書けるよう尽力したいと思います。

仕事紹介でした。