2016年2月27日土曜日

[弥彦][巻]を回ってこまかい取材、打ち合せを

佐藤家の図書室にて

今日は[弥彦]に土産品紹介ページの最後の1点の撮影へ。次号4地域ごとに9点ずつ地元の方から土産品を紹介いただくページを掲載予定です。

依頼させていただいた方や関係者がそれらの写真を持っている場合は、誌面の取りまとめが早いですが、一枚も持っていないとなると、各店を訪ねて一点ずつ撮影しなけらばならなく、これに想定以上に時間がかかってしまいました。あとは[寺泊]のみです。

その道中、[巻]の「旧庄屋佐藤家」に次号掲載の斉藤文夫さんも訪ねました。誌面は完成していますが、今夏、斉藤さんらが主催するシンポジウムのお手伝いをさせていただくことになり、簡単に説明を聞いてきました。今年2016年は、旧巻町で行われた原発建設計画をめぐる住民投票から20年の節目となり、いまあらためてその歴史を振り返り、これからを考えるため、シンポジウムを企画したそうです。

次号掲載の旧巻町長の笹口孝明さんも参加するそうで、わたしも微力ながらお手伝いさせていただきます。8月の開催で、6月には正式発表できるかと思いますので、こちらでも告知させていただきます。

2016年2月26日金曜日

経理、決算、申告、納税業務。納品、精算業務など。

雪のちらつく商店街

一昨日は編集室から自転車で10分の上古町商店街にあるアロマとハーブのお店「Hana*kiku」さんに精算と納品で伺いました。【燕三条編】が完売したとのことで補充させていただきました。

一見すると女性向けのお店かなとも思いますが、男性のお客さんも多いそうです。私が訪ねたときにも男性のお客さんが贈り物を選びに来ていました。ホワイトデーのお返しでしょうか。

取り扱い、いつもありがとうございます。

昨日は、「紀伊国屋書店」新潟店に精算・請求に伺いました。また、先週から経理・決算業務を行っていましたが、ようやく書類がまとまり、申告、納税を済ませてきました。お金ともっとうまく付き合っていかなければならないのですが、経理業務はどうしても生命力を吸い取られるような気になってしまいます。事業を長く続けていくためにも、この点は根本的な見直し、改善が必要なところです...。

今日はようやく、東京で取材させていただいた次号掲載[弥彦]英(ハナブサ)太郎さんの原稿の起こし、データ整理を行うことができました。この週末の作業で一気にかたちにしていきたいところです。

2016年2月22日月曜日

年間でもっとも頭痛、目眩、吐き気を催す時期です。

港町の猫

金曜は[岩室][寺泊]を回って、細かい取材、確認、依頼などを行っていました。

昭和初期に活躍した岩室芸妓の小龍さんのことを聞きに、和菓子店を営む角屋悦堂の会長を訪ねました。角屋さんはかつて置屋も営んでいて、そこに小龍さんが在籍していたのです。先々週、はじめて訪ねたときは、「写真を貸したまま無くしてしまった」とのことだったのですが、後日、電話がきました。「たまたま家を整理していたらほろっと出てきた。あんたの呼びかけに、小龍さんが応えたんだこて」と。写真を拝見させていただくのと、原稿確認のため2回目の訪問でした。近くにお墓もあると聞いたので、その後、ひとりで手を合わせにいってきました。

[寺泊]には土産品紹介ページの協力依頼でした。他の地域はほぼまとまっているんですが、なぜか寺泊が難所となっていて、数軒回っては断られる状況が続いていました。しかし、よ〜やく話が進みそうで一安心でした。本人写真の撮影と、土産品の候補出しで打ち合せを行いました。

夕方、別件の仕事依頼の打ち合せまで1時間ほど時間があったので、「聚感(しゅうかん)園」付近を散策。寺泊の歴史、霊性を感じられるいい場所でした。近くで猫の写真を一枚。癒しの1分でした。

今日(2/21)はうってかわって経理業務、決算書類の準備をすすめていました。一年でもっとも頭痛、目眩、吐き気を催す時期。あと数日、続きます。

2016年2月18日木曜日

ほんのわずかですが、自分の中にある公共心について

今日は新潟市東区の大形小学校6年生の総合学習のひとコマを担当しました。新潟市内で2番目に大きい学校だそうで、いまの6年生は約170名、全校で950名(!)のマンモス校です。

先生からの依頼は「小林さんが雑誌づくりをはじめた経緯や、取材編集にかける思いなどを話してもらいたい。そして、子どもたちには自分の興味・関心を伸ばしていくことの大切さを感じてもらいたい」とのことでした。

面識のある方なら想像がつくと思いますが、「え゛。コ、コバヤシくん、大人だろうが子どもだろうが人前で話すの、苦手ぢゃねーか(笑)」と。そうです、自覚してます。

今回もそうでしたが「ユーモアを交えて流暢に話せたか」と言えば、ほど遠いでしょう。生徒から見ても、迷い、戸惑い、緊張が感じられたことだと思います。

そんな予想もあったので、授業の冒頭に「一言か二言でいいから、自分の中に残る言葉を持ち帰ってもらいたい。または、同じ新潟の町にこんな大人がいるんだ〜、という印象だけでもいい」とハードルをさげて話しはじめました。

1時間強。自分の中で雑誌づくりの原点になっているいくつかの出来事と、普段の取材編集中の写真を見てもらいながらその思いを伝えました。

先生からの依頼を受けて、わたしなりの結論はふたつでした。「あ〜、〈仕事〉って自分でつくっていいんだ!という気づき。そして、仕事をつくるとは〈人生〉をつくっていくことでもあるんだ」「興味・関心を大切にするというのは、言い換えれば〈孤独〉を大切にすることである」です。これも授業の冒頭と終わりにあえて言いました。

年に数回、教育機関から授業の依頼をいただくことがありますが、終わった後はいつも残尿感、、、ではなく不全感が残ります。「いや〜、言いたいこと言えたぜ〜、スッキリ!」という思いは皆無です。ゼロです。ヘンな汗でシャツがびっしょりです。

では、なぜそんな依頼を受けるのかといえば、「公共心」かなと思っています。これまでほんとうにいろんな人たちから、知識や経験、技術を授けてもらい、ときに叱責を受け、迷惑もかけてきました。それでも、どうにかこうにか続けさせてもらっているこの経験が、次の世代を担う子どもたちにわずかでも役に立つなら、協力したいなという思いです。

わたしは、ボランティアも募金もほとんどしません。ただ、好き勝手させてもらっているわたしでも、教育を通じてなにか社会のお役に立てるなら、というわずかな公共心はあるようです。

「請われれば 一差し舞える人物になれ」(梅棹忠夫)

授業の依頼があるたび、「ゔ〜・・・」と思いながらもこの言葉を思い出し、引き受けることにしています。

2016年2月16日火曜日

東京取材のついでに地元の同級生を訪ねました

「Haru Esthetic Michiko Spa」

週末、東京に出たついでに地元の小中学校の同級生が銀座にオープンさせたエステに顔を出して、土産をわたしてきました。田舎者なので、「銀座」「エステ」というだけでびびってましたが...。

自分もそうですが、いくら自由に仕事をしているからといっても、ひとりで会社や事業を起こすのは、底知れぬ孤独感に苛まれることがあります。たいしたものを持っていったわけではありませんが、田舎の友人がふら〜っときて、方言丸出しでしゃべって、さ〜っと帰っていくって、自分がされたら嬉しいなぁと思ったので。

本人は職人気質で、気さくな性格です。「スター性があるっけねぇ(笑)」と言ってましたが、さて。でもバンドやってた頃にNegiccoと対バンしたことがあるとか。

銀座一丁目!

女性で気になった方がいたらぜひ利用してみてください。




それから、向かいの骨董屋もよかったです。

こちらも若く明るい店主でした。

宮城県の旧家から出てきた土人形(500円)を購入しました。

たしか近くに一冊の本を売る森岡書店さんがあったと思い、散策。ありました。が、電気はついてましたが不在。残念でした〜。

一階がお店

2016年2月15日月曜日

劇団新派・英 太郎さんに東京でインタビュー

上野駅で待ち合わせ、インタビュー

週末は[弥彦]出身で「劇団新派」の役者・英 太郎さんに取材するため東京に出ていました。

15歳で初代・英 太郎に弟子入りし、昭和48年に二代目を襲名。女方として長く、様々な役を演じてきました。その半生を振り返ってインタビューをさせていただきました。

80歳の現在も現役で、来月は国立劇場で水谷八重子さん、中村獅童さんらと舞台に立ちます。(詳細・http://www.ntj.jac.go.jp/schedu…/kokuritsu_l/2015/31009.html

次号掲載で数ページ使う大きなインタビューはこれでおしまい。全体を整理しながら、表紙や目次、あとがき、広告募集・制作などに入っていきたいと思います。

早くまとめたい、このあたりで終わりにしたい、やってる本人も幾度となくそう思います。作業量の多さ、計画の遅延にひとりうなだれることも多々。それでも手や足を止められないのは、毎号、取材地域に取材者が入っていったときに「広がる波紋」「不思議な縁」「応答の成果」を素直にまとめたい、それが『LIFE-mag.』の役目かな、と思っているからです。

久しぶりの上京。東京の雑踏に飲み込まれるのが妙に心地よかったです。さてさて、また編集室にこもって仕事をすすめたいと思います。