2015年10月22日木曜日

新潟県立文書館へ亀井功さんを訪ねて


昨日は、新潟県立文書館の亀井功さんを訪ねました。

次号の[弥彦]取材で弥彦燈籠まつりの同日に開催されている「松明登山祭」の記事を掲載します。その記事の補足で、明治に発行された高頭仁兵衛『日本山嶽志』(全国の山の解説事典)を引用します。

事典を読もうと県立図書館で開いてみたのですが、読めないという...。

たまたま校正打ち合せで[巻]横山作栄さんを訪ねたとき、明治の文書が読めなくて...、と相談すると亀井さんを紹介してもらいました。亀井さんは中学校の元教員で、郷土史を長く研究されてきました。『新潟県史』『巻町史』『吉田町史』では執筆者のひとりとして編集にあたったそうです。県立文書館では、古文書や古い行政文書の収集、読解、整理業務、そして、私のような県民からの依頼に応じて読解を行っています。

先週、はじめて訪ねて原文の読みとおおよその解説をしてもらいました。そして、持ち帰って自分で誌面用に打ち込み、現代語訳を行い、再度、確認をしてもらいたいと、再訪しました。

はじめてその事典を開いたときは、「これは日本語か? 漢文か?」と思い、亀井さんに聞いたら「あんたがいま使っているのと同じ日本語らて」「昔の人はこれが読めたんだ。教養の違いだて」と、ズバリ...。

頭上に「?」マークを浮かべっぱなしの私に対して、諸橋轍次『大漢和辞典』と『広辞苑』を使って読解、解説してもらいました。・・・「それはおかしい」「こういう言葉もあるよ」「それよりこっちのほうがいいんじゃないか」・・・亀井さんのその姿からは、なんというか、言葉に対する忠実さを見させてもらった気がしました。

それから、県立文書館から自転車をこいで編集室に戻りながら、ぼんやりと思いついたことがひとつ。

読解に使った『大漢和辞典』は下田出身の諸橋轍次、読みたかった『日本山嶽志』は長岡出身の高頭仁兵衛です。そして、もう一人、保田出身の吉田東伍は『大日本地名辞書』を記しています。それぞれ〈言葉〉〈山〉〈地名〉の語源を探るべく、小さな仕事を積み重ね、結果、大きな仕事を成し遂げた人物です。

実績も教養も到底足元にも及ばず、まだまだ小さな仕事を積み重ねるだけですが、私も新潟のそういった先人たちの下流にいるのかもなぁ、と。

いろんなことが、ずいぶんとイビツなままの媒体と編者だとは思いますが、そう思うとすこしだけ励みになるのでした。