2013年4月15日月曜日

「月刊にいがた」鈴木編集長×「越後亀紺屋藤岡染工場」藤岡専務の対談。司会は迫さん(hickory03travelers)

編集室から徒歩10分ほどのところにある上古町商店街hickory03travelersさんへ。


413日(16:30〜。「継続の秘訣」というテーマで「月刊にいがた」編集長の鈴木修司さんと「越後亀紺屋藤岡染工場」の藤岡利明さんのトークイベントが開催されました。司会は迫一成さん(hickory03travelers)。

ゆっくりと変化しながら「継続」してきたことが伝わるトーク内容でした。
右・迫さん、中・藤岡さん、左・鈴木さん

「月刊にいがた」は創刊38年。既に450号以上の発行を続けられています。現在の、編集長・鈴木さんは入社25年。編集長としては10年目。

月刊にいがた創刊号(1975年)

「月刊にいがた」は創刊当初、コンサートやライブ情報がメインで構成されて、読者もそういった「情報」はお金を払って得るという感覚を持っていたそうです。「チケットぴあ」や「東京ウォーカー」なども全盛の頃。
それが、2000年頃からはインターネットが一般の人たちにも普及。そういった「情報」はネットで無料で得られる環境が整ってきました。
そこで、ただ「情報」を伝えるだけの媒体から、少しずつ「月刊にいがた」的な視点を織り交ぜて編集する機会を増してきたそうです。
「居酒屋LOVE」(だったかな?)という企画では、居酒屋の一番忙しい週末の夜にいって店内を撮影。お客さんや、店員の表情や笑い声が伝わるかのような写真を掲載。だが、売れ行きはどうかというとイマイチだったりも。

「新潟町歩き」参照サイト:http://www.joyfultown.jp/other/machiaruki.html

逆に、「新潟町歩き」(毎号連載)では、霜鳥彩・副編集長が県内各地の商店街を歩きレポート。裏通りにあるようなお店までガイド。75の町歩きを別冊発行すると、こちらは初版完売の売れ行き。

いくつもの試みを経て、「月刊にいがた」的な視点が理解され、観光パンフレットの作成やウェブサイト構築の依頼に繋がったこともあったそうです。
食べログ」をはじめ、グルメ情報やお店情報は簡単に検索して得られます。それらの情報とどこまで差をつけられるか、毎号悩み、常に目の前の次号をどうするかを必死に考えているそうです。

藤岡染工場の商品
「越後亀紺屋藤岡染工場」の藤岡さんは260年続く、染め物屋の専務です。藤岡さんのお父さんで8代目。
江戸期には、工場のある水原に代官所があり、幕府の仕事も多かったそうです。その頃は染め糸工場。明治以後、多くの人が洋服を着るようになっていき、だんだんと染め物の仕事は減少。染め物屋さんの中には、クリーニング屋さんに転業していく店も多かったようです。

藤岡さんのところもクリーニング業もやりつつ染め物を続け、お祭りの半天や企業の贈答品など一般向けの商品以外を作ってきたそうです。そのためか、地元の人でも藤岡さんところは何を作っているんだろうと思われていたそうです。

そんな中でも、ツイッターやブログなど情報発信をこまめ目にやってきた積み重ねか、ビームスやムラサキスポーツなどの大手企業の仕事も受注。しかし、地元では何を作っている所なんだろうという認識はかわらず・・・。

転機は、2007年の新潟伊勢丹での展示。自社ブランドの手ぬぐいを販売したところ、多くのバイヤーから反響が。ヒッコリースリートラベラーズさんはじめ、長岡造形大学や地元での仕事が増え、認知度もあがっていったそうです。
その後、手ぬぐいや小物入れ、帽子、カバンなど女性的でかわいいデザインで、一般の人も生活に取り入れやすい商品を増やしていったそうです。現在は手ぬぐいで月間1万枚弱の生産。

約1時間20分のトークイベントでしたが、なんと無料。ヒッコリースリートラベラーズさんのお陰で楽しい時間を過ごすことが出来ました。近所にこういったお店があり、その人の仕事を通して、この町のつながりが見えていくのはとても楽しいです。

hickory 03 travelersさん店内

迫さんのゆるやかだけど、要所を押さえた司会もさすがだなぁと思いました。上古町商店街という拠点と共に、様々な人の魅力を引き出す仕事っぷりにはいつも学ぶことが多いです。

新潟のまちがゆっくりと呼吸し、有機的に人がつながっていく物語を「読む」のは楽しいですね。