2009年12月20日日曜日

こんな時だからこそ

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新潟市は久々の大雪で大混乱の日々でした。

家でも車がまず出られない。
車を出すのに一汗。

帰宅すると今度は入れない。
かといって、車を一時的に路肩に置くと
除雪された雪が道幅を狭くして、後続車に迷惑。

他県の方からは「雪国新潟」とイメージされていても、
新潟市ではちょっとした雪で大混乱。
大雪となるとこんなに大変なんだなって。

この大雪で、3回、車が雪にはまって動かなくなりました。
が、その都度、見知らぬ近所の人に助けてもらいました。

「見知らぬ近所の人」という表現が寂しいですが(笑)。
新潟市の私のアパート近辺ではご近所付き合いという程のことはなく、
助けていただいた人とも近所であることはわかるけれど、
会話を交わすの初めてという関係。

3回とも別々の方でしたが、車のタイヤが空回りしているのを見て、
すぐに駆け寄ってくれた。
そこに迷いはなかった。

こんな時だからこそ助け合いの気持ちで交わる「近所」。
逆に、こんな時でもないと交われない「近所」の姿なのかもしれない。



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今年の夏にイスラム教のモスクで取材をしたときに、
「イスラム教では遠い親戚よりも、近所の人を大切にする」
と言っていたのを思い出す。
(LIFE-mag vol.004)



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俺はこの大雪で「恩返し」をしようと思った。

近所に住む知人宅の雪かきをした。
角の家ということもあり、帰宅しても車が入れられず、かといって路肩にも停められないこんな状況では困るだろうと思ったからだ。

最近、手作りのケーキをいただいていたので、
その「恩返し」と思いからで、
経済的に貧弱な俺ではモノで返せないから
カラダで返そうと思い(笑)。

そんな気持ちが伝わったらなと思った。

しかし、「恩返し」が「恩返し」を生む。
結局、先程差し入れを頂いた。

それは「お米」。
いやはや、また雪でも降らないと返せないよ(笑)。



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「恩返し」について、
恩は返せるものなのか!?という疑問があった。

施したいと思う側の善意で、親切やお世話をする。
そこに何か見返りは求めているのだろうか!?

インドに行った日本人が、物乞いに小銭を与えたら、
「ありがとう」も言わないで、サッと手に取り、
消えていった。
日本人は「なんだよアイツ、せっかくお金を与えてやったのに」と言う。
そんなエピソードを何かの本で読んだ。
(五木寛之氏のエッセイかな)

施しは与える側をも救う。
親切をした後って、自分も気持ちいいじゃん。
俺はなんとなくそう思っていた。

その思いをガッチャさん(傳次郎さんのフィルムショーで大変お世話になっていた方)が酔っぱらいながらこう言った。

「俺はいろんな先輩から、絶対返せないくらいの恩恵を受けてきた。音楽のやり方やライブ活動のやり方、音楽に対する姿勢。すげぇいろいろ教わったよ。それは返せるものじゃねぇ。恩は返すんじゃねぇ、次に繋げるんだよ。俺はそれを『恩繋ぎ』って言ってる」

自分が考えていることを、また別の表現で言い表してくれているようで、
腑に落ちる感覚があった。

そのガッチャさんは音楽サークルを立ち上げ、
後進の育成にも力を注いでいる。