2017年3月7日火曜日

【粟島編】釜谷八幡社「初卯」、釜谷分校の記憶

神主の舞

八幡社入口の看板。海岸名はアイヌ語の名残でしょうか?要調査

3月4日〜6日まで【粟島編】の取材で粟島に行ってきました。今回の取材はふたつ。ひとつは、釜谷八幡社のお祭り「初卯」の取材です。

釜谷集落に祀られている八幡様は1793年頃(江戸期・寛政年間)、浜で海苔つみをしていた女性2人が拾い上げたといわれています。後にこの神像は、新潟市黒埼の木場集落の氏神であり、これを盗んだ者が金縛りにあい川に捨てたことが判明。その後、木場から集落の人がやってきて神像を持ち帰ろうとするも、持ったとたん足が硬直して動かなくなり断念。木場の人も八幡様が粟島に残りたいということだと思い、粟島の釜谷集落に祀られてきました。近年まで、木場集落の人たちが釜谷八幡社にお参りに来ていたそうです。信濃川を流れ、粟島に流れ着いた神様です。

お祭りの様子を取材させていただきました。

釜谷のお饅頭

またお祭りということで、釜谷で取材させていただいた方のお宅でお昼をいただき、この祭りに蒸かすという釜谷のお饅頭もいただきました。美味しかったです。

分校写真

もうひとつは1995年(平成7年)に閉校した釜谷分校の思い出やエピソードについての取材です。粟島という離島のさらに奥にある小さな校舎で生徒と先生はどんな時間を過ごしていたのでしょうか。あの校舎に流れた時間のなかには「学び」や「育ち」についての本質的な〈なにか〉があったのではないか? そんな勘が働きました。

そうです。

勘です。

その〈なにか〉の答えはまだわかりません...。

この記事は、新発田市で「写真の町シバタ」という取り組みを行っている原 亜由美さんに依頼しました。町中の商店や個人宅などに眠っている写真を町の共有財産と捉え直し、そのエピソードを聞き書きし、商店街に展示する取り組みです。

Life-mag.の納品で新発田に出かけると町中でこのパネルを見る機会があって、良い取り組みだなと思っていました。昨年、事務局の原さんと知り合い、依頼させていただきました。

また原さんは敬和学園大学の地域連携コーディネーターや他にも教育関係のお仕事をされているとのことで、その〈なにか〉に迫るのに適任かなと思いました。

今回の取材に同行してもらって、釜谷分校の卒業生や当時教員として勤務した方への聞き取り、現在の粟島浦小中学校の見学、校長先生への取材などをしていただきました。わたしは案内だけして、取材相手の方とつないだら脇で聞いているというのも新鮮でした。

文科省ウェブ 3/7.2017

このブログを書きながら、教育行政の長である文部科学省のウェブを見てみたら、トップには「文部科学省における再就職等規制違反についての対応」と書かれていました。そして「現行学習指導要領」のページを探すと大きなテーマとして「生きる力」が掲げられています。

法を犯して再就職先を得ながら、「指導」するのは「生きる力」です。

今回、原さんと一緒に釜谷分校の思い出や先生とのやり取りを島の方々から聞かせてもらいましたが、釜谷分校にこそ「生きる力」を育む時間が流れていたのではないでしょうか。原さんから原稿にまとめてもらうので、ここでエピソードは書きませんが。

ほか滞在中には現在、最盛期であるマダラ漁や「あわしま牧場」で子どもたちが餌やりや掃除をする様子を見学させていただきました。

漁を手伝う「おむすびのいえ」の花ちゃん

出荷作業

馬の餌やり、掃除。朝夕と子どもたちが行う

鶏の餌やりも

今回も粟島の方々にはお世話になりました。ありがとうございました。