2014年12月29日月曜日

ユースト番組「ジンバルラジオ」に出演させていただきました。

新潟在住の漫画家・古泉智浩さんと帆苅智之さんが主宰するユースト番組「ジンバルラジオ」に出演させていただきました。

主にサブカル系で活動する新潟の人を呼んでアレコレトークする番組です。これまで15回ほど配信してきて、第1回は新発田市の吉原悠博さんだったそうです。

2014年12月29日14:00〜、UXレクスンスタジオで約1時間の配信が行われました。古泉さん、帆苅さん、UXのスタッフの皆様、視聴いただきました方々、ありがとうございました。

番組アーカイブはこちらです。ユーストの仕様変更で1ヶ月後にアーカイブが消えるそうです。

Broadcast live streaming video on Ustream

番組後の記念写真。

左・帆苅さん、中・小林、右・古泉さん

帆苅さん、メキシコのレスラー風のポーズw

古泉さんは新潟を拠点に全国的に活躍するプロの漫画家です。単行本も多く出版されています。ブログはこちら(http://koizumi69.hatenablog.com/)。
前日に『ジンバルロック』『ミルフィユ』『死んだ目をした少年』を読みましたが、どれも面白かったです。シュールな笑いを誘う青春童貞漫画といった感じです。
また『死んだ目を〜』は映画化され2015年2月〜劇場で公開予定となっています。ウェブはこちら(http://shindame.com/)。すごい!

2014年12月27日土曜日

『LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】』の取扱のお願いに「モノ刷製作所」さんに。

店長の稲吉さん(左)

お店前の看板。オリジナルのプリントショップ

『LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】』の取扱のお願いに「モノ刷製作所」さんに伺いました。

Tシャツをはじめさまざまなものへのプリント、デザインを行うお店です。相田さんのお米バック、Tシャツ、缶バッチなどの製作も行ったそうです。誌面にはその紹介もあります。

写真はモノ刷製作所の店長・稲吉さんとお店前での一枚。

また社長の渡辺さんがこの事業をはじめたのは、なんといまLIFE-mag.編集室になっている一室!!ということで不思議なご縁を感じずにはいられません。渡辺さんたちがTシャツのプリントに使った塗料がいまも編集室の壁に付着したままです。

本日より取扱販売いただいています。ありがとうございました。


THE FUTURE TIMESの配布店です。
http://www.thefuturetimes.jp/



2014年12月26日金曜日

『Niigata Interview Magazine LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】』が完成しました。

表紙です!合成ではありませんw

『Niigata Interview Magazine LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】』が完成しました。(制作途中の記事

佐渡の米農家・相田家の仕事や暮らしを紹介する冊子です。相田さんとは、2012年に発行したLIFE-mag.vol.005【佐渡編】で取材させていただいてからのご縁です。

農作業の一年の流れ。行政やJA、酒造会社、地元クリエーターとの取組。また伝統芸能・鬼太鼓や地域とのつながりも紹介しています。A4版で36頁のボリューム。

表紙写真は相田さんの友人、知人より撮影に協力いただきました。稲刈り前の田んぼの中に、家族と鬼や獅子が...。合成ではありません(笑)。

そして記事にはすべて英訳がついています。相田さんのお米はシンガポールや香港の商談会などでも販売され、海外のお客様も多く、そういった方々に向けて日本の農業や伝統文化を発信する機会にもなればと思い提案させていただきました。

基本的には相田さんがお客様に配布するものですが、希望の方には販売もします。LIFE-mag.通販(http://lifemag.thebase.in/)をご利用下さい。また一部、書店・ショップ等にも取扱をお願いする予定です。

LIFE-mag.としても新たな試みで、とても勉強させていただきました。話題を広げれば、この50年で日本国内の米の消費量は約半分に、農家戸数は半分以下になり、その従事者の高齢化も著しいです。相田家の米作りを通して持っていただいた関心が、日本の農業への関心、またそれぞれの暮らす地域への関心へも寄せられることを願っています。


春の作業紹介

鬼太鼓の紹介
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現在の取扱店は、北書店(新潟市役所前)、英進堂(新潟市秋葉区)、いわむろや(新潟市岩室温泉)、モノ刷製作所(新潟市東堀通)です。
またLIFE-mag.編集室にお越しいただいても販売可能です。
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2014年12月11日木曜日

雑誌『雲遊天下』に寄稿

雲遊天下


ビレッジプレス」(東京)さんの発行する雑誌『雲遊天下』に寄稿文が掲載されました。

最新号の「わたしの仕事」特集です。独立して仕事をしている人、またそのことがそこでの暮らしと繋がっている人から原稿を集めたものです。「いまの仕事をはじめたきっかけ」「心底イヤになるとき」「一番大切にしていること」に答えました。

南陀楼綾繁さんからご縁をいただきました。ありがとうございました。

また新潟からは沼垂の「ISANA」の中川さんご夫妻の寄稿もあります。沼垂でお店をはじめられてからの率直な思いが書かれていました。近所のおばあちゃんとのやりとりも。中川さんは、私と同い年なんですね。

[詳細]http://www.village-press.net/?pid=84176980

2014年11月25日火曜日

新潟・市民映画館シネ・ウインド29周年祭「劇場版テレクラキャノンボール2013」上映&監督トークに行ってきました

『LIFE-mag.vol.007』で特集した「新潟・市民映画館シネ・ウインド」は、昭和60年12月7日に開館しました。今年で、29周年です。

毎年、11月には周年祭と題して監督トーク付きの上映会や、にいがた映画塾さんの自主映画上映会「にいがたインディーズムービーフェスティバル アンタの映画見せてやれっ!!」(今年は第18回)、年度によっては落語会や演奏会なども企画されてきました。最終日は「周年祭パーティ」が万代シルバーホテルで開かれ、シネ・ウインドの会員や映画監督、スタッフなどが一緒になって、シネ・ウインドの誕生を祝います。



2014年11月21日(金)19:30〜は、「劇場版テレクラキャノンボール2013」の上映と監督のカンパニー松尾さん、そして「プロレスキャノンボール」を製作中の新潟市在住マッスル坂井さん(スーパーササダンゴマシン)のトークがありました。

映画は、AV監督6人が東京から仙台を経由して札幌を目指すレースを追ったドキュメントです。目的地までのスピードを競うことと、各地点で女性を口説き(路上、テレクラ、出会い喫茶などを使い)セックスをして、そのポイントを重ね優勝を目指すものです。

この日、会場は満員の約100名。椅子が足りなくなり補助席を使っての上映でした。カップルで来ている人や女性一人でのお客さんも多くいました。

内容は、「ネタバレ禁止」ということなので、一言だけ感想を。

登場するAV監督も素人女性も何か大きな欠如と何か大きな過剰を抱えているような気がしました。それはそのまま社会のそれを映しているようにも思えました。
AV監督たちは自分の好みの女性を探して〜、というわけではありません。身体を張って、傷を追ってポイントをかさねていく姿を「笑い」に変えていく編集が効いていて、会場は何度も爆笑に。

上映後のトーク

上映後のトーク写真を撮らせていただきました。
マッスル坂井さんは今回で3回目の鑑賞だったようです。


トーク写真その2


マッスル坂井さんから、『テレクラキャノンボール』に影響を受けて、『プロレスキャノンボール』を製作したこと。水道橋博士がカンパニー松尾さんと作品を、絶賛していることなどが語られました。またカンパニー松尾さんは、新潟県阿賀野市の水原自動車学校でバイクの免許を合宿で取り、毎晩、新潟市のテレクラまで出かけて新潟の女性と遊んだというエピソードも。

お二人ともやはりプロのエンターテイナーというか、話が上手かったです。

それと今回の上映は、ひとりのお客さんの企画・提案でのイベントだったそうです。アベゾンビさん(twitterアカウント)が、ウェブからカンパニー松尾さんに連絡、そして場所はと考えシネ・ウインドへ連絡。普段からシネ・ウインドの会員だったわけではなく、知り合いがいたわけではないそうです。

トークでも話題になりましたが、(カンパニー松尾さん)「主催のアベゾンビさんにはさっき初めて会いました。twitter名からして、なんか暗い感じの人かと思ったら、むしろ爽やかな感じでいけてる人でした。こういう場を作ってくれて彼にも感謝です」

(マッスル坂井さん)「僕もさっきトークの内容どうしましょうかねって聞いたら、がちがちに緊張してて、す、す、すごい人はいってますね。。。お、お、お任せしますって(笑)」

(カンパニー松尾さん)「他でもし上映会をやってもらえるようでしたら、ウェブから普通に問い合わせてください。僕が対応しますので」とのこと。

映画の内容はどの映画館でもやれるものではありません。都市によっては、ライブハウスなどでの上映になることも。

こういったイベントは、シネ・ウインドという場の可能性と市民との関係が現れた企画だと思いました。以上、ウインドの周年祭企画にお邪魔したレポでした。

2014年11月17日月曜日

佐久間裕美子「ヒップな生活革命」ツアーin北書店に行ってきました


入口の看板

アメリカ・ニューヨーク在住の佐久間さんがリーマンショックを挟んで感じたアメリカでの消費観、価値観、生き方の変化をまとめたものです。大企業主導による大量消費ではなく、身近な衣食住から自分たちの手で、仲間で、土地で生活をつくっていこうとするムーブメント=「生活革命」。またそうした生き方をしている人やお店、取り組みを「ヒップ」と呼ぶようです。

今回のトークツアーは、熊本、福岡、京都、大阪、東京などを回って行われ、新潟が最終着地点。佐久間さんは「ツアーをやってきて、日本にもすでに『ヒップ』な人たちはたくさんいるんだなってあらためて思いました」「今度は日本の取材もしてみたいですね」と話していました。

イベントの前に本を読んでみて、私もそう思っていたのでその一言で、共感と安心が。この新潟の街にもそういう人、お店、取り組みはありますよね。

トークでは、「ヒップな生活革命」をインターネットの普及、活用が後押しした面があるけれど、ツイッターのフォロワーがたくさんいたり、全国誌で取り上げられて有名になっていくことと、実際に個人経営の小さな本屋で本を買う人の数、売上は比例しないという北書店・佐藤さんの悩みをぶつける場面も。

するとニューヨークの個人経営の書店でも、家賃を下げてもらうかわりにテナントの掃除をする本屋や、地元の美術学校と連携してトートバックを商品化したりなど、「それぞれいろんな工夫をしながらやっています」という話が。あとニューヨークでも個人経営の書店主を取材すると、「ほとんどの人は機嫌悪いですよ、話の9割は文句だし(笑)」と佐久間さん。

ただそこには佐久間さん自身の本屋への強い思い入れもありました。

「日本にいた頃は、やー、もうここでは暮らしていけないって思ってました。友達も一人くらいしかいなかったし。家の中にも居場所がなかった。だから近所の本屋が開いてるとそこに長居してたし、そこが居場所みたいなもんだった」

という背景もあったそうです。さらにこんな言葉も。

「(こういう時代に個人経営の書店をやってるなんて)もう存在自体が啓蒙的」。

並々ならぬシンパシー。

それでも現実は、郊外型ショッピングモールや大手チェーン店で消費をしているという人がやはり圧倒的大多数です。新潟の街だけをみても、例えば5年、いや1年というスパンでも多くのお店がシャッターをおろしてきました。

会場からの意見で、「イオンが悪いみたいに言われることもあるけど、僕はイオンにも行くし、北書店にも来る。どっちも楽しんでいます」と。

それを佐藤さんは「俺はプロレスでだいたい説明できると思ってるよ」と独自の言葉で説明。大型店も個人店も表裏一体で、どちらもあって、どちらも引き立て合っていると。それを「プロレスでいうなら、ジャイアント馬場とアントニオ猪木、全日と新日の関係のようで、お互いを批判しながら、そうすることによって支え合ってるんだよ」と。

ここで佐久間さんも会場も納得と爆笑。
「佐藤さんはどっち?」
「俺は馬場ね。なんとなく暗さにもひかれるし(笑)」

ほかにもたくさん聞きどころはあったと思いますが、私が印象的だったのはこんなところです。

アイデアインクシリーズ
佐久間さんの本は左奥で
積み上がっているのです

ここからは私の雑感です。

私は10代の頃、アメリカのスケートカルチャーになによりも影響を受けてきました。中学、高校と教科書よりも「THRASHER」や「Transworld Skateboarding」を開いている時間のほうが長かったくらい。スケーターである彼らこそが先駆的に「生活革命」をやってきたような人たちだよなぁと思いました。

80〜90年代、アメリカのスケーターたちは自分たちでブランドを立ち上げ、スケートボードを作り、服を作り、靴を作り、ビデオを撮り、仲間の作った音楽を入れ、プロモーションでツアーを組んで世界中を回っていました。そしてそれを伝える雑誌メディアもスケーターによるものでした。

日本の片田舎・村育ちの少年にとってこのアメリカのスケートボードシーンはなによりの憧れの的でした。わたしは、私にとっての「ヒップスター」=アメリカのスケーターから、そのインディペンデントな生き方、(「ヒップ」な)アティテュードを学んできました。

10代の頃、あれだけ毎日乗ってたスケボーもいまではたまに気分転換で乗るくらいです。それでも、今年スニーカーを買い換えるときやっぱりスケートブランドの「emerica」を購入。スケータースピリットみないなのが抜けないんです。

佐久間さんの話や著書から、そんな自分の原点をあらためて確認していました。

それといま私が編集発行している『LIFE-mag.』もまたこの「生活革命」にすこしは関係するのかなと共感とともに聞いていました。思い立ったのは2007年夏、そして2008年6月に創刊した小さなローカルインタビュー誌です。

自分たちの暮らす地域には、テレビには映らない、マーケティングされない、もっと多様な生き方や価値観を持った人がいる。そしてそのことを知ること、問題を考えることが、逆に世界とつながっていくことになる。

はずだ・・・、という(当時24歳・新聞配達店勤務による)思い込みと使命感にかられてはじめたものでした。

いまだ、文章や写真、デザイン、企画、コンセプトなど雑誌を構成する多くのことがずいぶん未熟だし、手触りも歪だと思います。経営的にも安定した背もたれは何もないし、毎号が綱渡りです。些細な風向きの変化次第で・・・、という状況です。

ときに革命は短命に終わります。

どうすれば長く続くのか、自分の中で明確な答えはありません。ただアメリカに、日本にも、日本の他の街にも、そして新潟にもいる、「生活革命」者の存在にすこし背中を押されました。

とにかくいま持てる力を出し切ること、かな。
あとはどうなるか、、、わかりませんね。

2014年11月9日日曜日

医学町ビルで行われた映画「カンタ!ティモール」上映会に行ってきました



映画「カンタ!ティモール」の上映会に行ってきました。2014年11月8日(土)19:00〜、編集室からもほど近い医学町ビルで行われました。

医学町ビル2F、感想と食事をここで。
上映会は3Fのもう少し小さい部屋でした。

今回の上映会は、主催の亀貝さんが友人・知人らに声をかけて行われた小さな上映会です。会場の医学町ビルはいまは空きビル(2〜3階が)ですが、「越人会」という有志の方々が集まってこれからの活用が模索されている建物です。

2時間の上映会後、参加者で感想を語り合うというものでした。20名ほどの参加者は、半分くらいは面識のある方でしたが、あと半分はどこかで見かけたことがあるけどちゃんと挨拶をしたことがない人、そして初対面の人でした。

映画の内容は、東ティモールの独立紛争を生き抜いた人々を訪ね、その人々の暮らし、思いを記録したものです。東ティモールは16世紀前半にポルトガルに占領されて以来、長く大国の占領下にあった歴史を持ちます。映画では特に1975年、インドネシアによる侵攻からの歴史が紐解かれていました。

親友が殺された人、半年以上毎日レイプを続けられた人、目の前で家族全員を殺された人、まだ小さかった頃姉が目の前でレイプされた人、拷問で4度仮死状態にさせられた人、手足を縛られ崖から落とされまだ息があるのが知られるとナイフで4ヵ所刺されそれでもはみでる腸をおさえて逃げ生き残った人などが登場して、当時の状況を語ります。その時折、拷問や虐殺の実際の写真が挟まれます。

そしてその凄惨な映像と激しいコントラストをもって、東ティモールの子どもたちの笑顔の映像、ギターの音楽にあわせ歌をうたう様子が映し出されます。

東ティモールの独立運動に関わる人がインドネシア軍に捕まると、拷問と虐殺が繰り返されましたが、逆にインドネシア軍兵士が東ティモールで捕まったときその対応はまったく違いました。東ティモールの人たちはインドネシア軍兵士に自分たちが「平和」を望んでいること、争いたくないことを伝え、武器のみ奪いそのまま帰すことを繰り返しました。

ここからは感想です。

映画を観ている最中は、呼吸が浅くなり、何から考えていったらいいのかわからずただただ動揺するだけした。「え、この映画みて、他のお客さんたちの前でなにを話せばいいんだろう…」とも思いました。

映画を観終わって「それではみなさん、簡単に自己紹介と一言ずつ感想をお願いします」と言われ、まず私が口にできたのは、いま自分が手にしている「平和」はどういったものなのか。東ティモールの人たちが口にしていた、望んでいる「平和」とそれは同じかという葛藤でした。

私はその日、朝8時に子どもを保育園に送り、9時前に編集室に出てきて仕事をはじめました。午後からひとつ撮影にでかけ、帰り際にコンビニで菓子パンをふたつ買って簡単な昼食にしました。編集室に戻りデータや資料を整理していると妻から「週末だし簡単に今日は焼き肉しない?」と電話がありました。夕方4時半、一度自宅に戻り、近所のスーパーに買い出しに行き、国産の肉とアメリカ産の肉を買いました。5時半から1時間かけて家族3人で焼き肉をしました。ご飯を3杯食べたので、上映会後に用意されていたワンプレートの食事がお腹に入りませんでした。上映時間に合わせて、自転車で出てきました。出がけに「パパ仕事いってくるね」と子どもに言うと「やだー」と返ってきましたが、そのまま出てきました。私にとってこれも「平和」だし望むことです。

個別、具体的な「平和」を詳らかにすること。しかし、そうしてみて自分の中に湧き上がるのは、消化不良のつかえです。夕食を食べ過ぎたつかえではありませんでした、たしかに。

(映画で描かれていましたが)インドネシア軍が東ティモールの人の死体を運ぶトラックは日本製の日野トラックでした。日本は1976年、国連軍がインドネシアの侵攻に仲介すべきかという決議をアメリカ、オーストラリアとともに反対しました。太平洋戦争時、日本軍は東ティモールを占領していました。

その延長線上に私の「平和」があります。東ティモールの人々がいう「平和」と私が漫然と無自覚に貪る「平和」は同じなのだろうか。いつもそうストイックになる必要はないと思いますが、たまにはそう考えてみました。

東ティモールの人々がこの暮らしこそ「平和」なんだ、それぞれの暮らしをよくしていくことが世界の「平和」につながるんだと言っていました。

もうひとつは、すこし大きな話ですが、国家・軍隊が暴走したときの怖さです。1999年、インドネシアは東ティモールの独立を認めるのかどうか住民投票を行いました。結果、約7割の国民が独立に賛成。独立が認められるかに思われた直後、インドネシアの独立反対派勢力は、東ティモールへのさらなる攻撃をはじめます。長い紛争で疲弊した東ティモールの集落、民家の約9割を焼き払いました。住民投票という手続きを経てもなお国家・軍隊は暴走を続けました。

東ティモール沖には石油や天然ガスがあり、インドネシアとその背後にいるアメリカや日本など大国がその経済利権を狙い、支援に加わっているとも指摘されていました。そして現在も局地的な紛争が続いていると。

上映会後、私はこんな主旨の感想を述べました。
一夜明けてこのブログを書いているいま、目の前の暮らしにすこしフラつきを感じています。いい小説を読んだような、いまこの現実からひと続きの、向こう側にいって戻ってきたような感覚が残っています。

感想は以上です。
あとこの上映会自体について感じたことをすこし。

一言でいえば「映画を観て感想を共有しよう」というイベントです。しかし映画は「愉快痛快、観終わってスッキリ〜!あ〜、ストレス解消」というタイプの映画ではありません。(もちろんそういう映画が悪いといいたいのではなく)。

私は自分が感想をいう番で話して、あとは小さなグループに分かれそれぞれに話し合っているときにぽつりぽつりと感想を言ったくらいです。その後、面識のある参加者の方に、好きな音楽家のライブやCDの情報を聞いたり、カメラのスペックを聞いたり、近況を報告しあいました。

一人で観ていたらきっとどんよ〜りしていたと思います。もしかしたらその後もなるべく考えないようにしようとしていたかもしれません。しかし重い内容の映画を観たにも関わらず、わずかな安心感と希望がありました。不思議でした。

ひとつは場づくりの工夫があったんだと思います。

あたたかい飲食とストーブの炎

あたたかいお茶と珈琲、美味しい料理があった。これにはずいぶん救われました。みなで円になる中心にストーブの炎があった。友人・知人だけでなく知らない人もいるというユルすぎず、キツすぎない雰囲気があった。何人かの方がゆるやかに話し合いをリードしてくれた。───そんなことも関わっているのかなと。こんな場をもてるというのも「平和」なのかもしれませんね。

2014年11月2日日曜日

村上市高根集落にて、都岐沙羅パートナーズセンターの斉藤さん再取材・撮影

今日は、「都岐沙羅パートナーズセンター」の斉藤さんの再取材・撮影で村上市高根集落に行きました。集落の方々と学生とで「高根みらいづくりワークショップ」が行われました。オリエンテーション〜まちあるき〜ワールドカフェ、そして打ち上げという流れでした。斉藤さんはファシリテーターを務めていました。

私も打ち上げに参加させていただきましたが、高根集落の方のヨソ者に対する心の開き方、ここでの暮らしを楽しもうという心意気、芸人っぷりにはとても驚かされました。「観光地化したいんじゃない、人口を無理に増やそうってんじゃない、ここにある、また受け継がれてきた暮らしを発信しながら、いかに楽しく暮らしていくかってことをやってるんだよね」という言葉は特に印象的でした。

また取材前に早く着いて時間があったので、廃校を活用した「山のおいしさ学校・食堂『IRORI』」にも寄りましたが、そこも集落の方によって運営されている施設でした。運営にあたる「高根フロンティアクラブ」さんは立ち上げ期の頃より、「都岐沙羅パートナーズセンター」さんと共に事業を育ててきたそうです。

合間を縫って補足の写真撮影と追加インタビューをさせていただきました。

まちあるき1
まちあるき2
ワールドカフェ
IRORIでいただきました。
今日から新蕎麦でした。
地区内の神社に奉納される相撲の様子。
ぜひ見にいきたい。
林業が盛んだったこともあり
公民館には鉈が多く展示されて
いました。

2014年10月31日金曜日

ひきこもり、ニート、不登校などの若者支援を行うNPO法人伴走舎さん取材

伴走舎・やさい村にて

LIFE-mag.次号【日本海編】の取材で、新潟市中央区沼垂地区を拠点にひきこもり、ニート、不登校などの若者の自立、就労支援を行うNPO法人伴走舎の青木洋之さんを訪ねました。

沼垂地区は新潟市の中心部にありながらも古くからの町で高齢化率が高い地域です。そこで、野菜や日用雑貨を売るお店、地域のご用聞きと行商、また居場所づくりを行っています。買物難民など地域の高齢者の生活支援を行うことが、若者のコミュニケーションの訓練、自立支援にも繋がっています。

取り組みのひとつで、リアカーに商品を積んで行う行商があります。これは民生委員の方とも連携し、ひとり暮らしの高齢者宅への見守りを兼ねています。高齢者にとっては話し相手ともなるし、若者にとってはコミュニケーションの練習の機会にもなっています。

毎年8月に行われる「沼垂まつり」には町内会の方々と燈籠に絵を描いたり、組み立てたりするところから参加しています。ただ「沼垂まつり」はケンカ燈籠祭りとも呼ばれていて、当日は「死ぬかと思う瞬間が何度もあります(笑)」という祭り。もちろん最近までひきこもっていた若者が最前線で燈籠をひくことはありませんが、それぞれに見合った役割を与えてもらい、または見つけ参加しているそうです。

他にも地元のまちづくり団体「なじらね沼垂」、コミュニティ協議会や社会福祉協議会、小学校などとも連携し、様々な取り組みを行い、そうやって地域の各機関と様々な取り組みをしていくこと自体がまた若者にとって自立に向かうきっかけとなっています。

同法人の理事であり事務局長の青木さんにこれまでの活動、またこれから沼垂地区ではじまる地域福祉の取り組みなどを伺いました。(青木さん自身もまた26歳の頃、1年間ひきこもってドラクエのレベル上げばかりやっていたとの体験も話してくださいました)

インタビューは本誌にて。

2014年10月30日木曜日

新潟市歴史博物館みなとぴあへ

先週末、次号【日本海編】の資料・素材探しで、新潟市歴史博物館みなとぴあの副館長・伊東祐之さんを訪ね、北前船に関する話を聞かせてもらいました。

久しぶりに行きましたが、水辺の風が吹くいい場所でした。売店にあった古地図のレプリカや野菜の絵葉書など手土産にもいいなと思いました。
10名弱の学芸員がいてそれぞれに研究調査を行い、ときどき市民向けの講座も開催しているそうです。

向かいの旧第四銀行住吉町支店を改装したレストラン「ぽるとカーブドッチ」もあり、半日くらいいられそうです。

[みなとぴあ]http://www.nchm.jp/





旧第四銀行住吉町支店の2Fです。
貸出利用もできるようです。
コンサートなどあったら行ってみたい。




2014年10月24日金曜日

近所にある市施設をめぐって、感じたこと

旧會津八一記念館(新潟市中央区西船見町)

昨晩、facebook上の投稿で以下のことを知りました。直感的に怖いなと感じたことをここに書いておきます。

旧會津八一記念館の利活用を考えるシンポジウムが11月16日に開催されるそうです。詳細・経緯は新潟まち遺産の会サイトに詳しく載っています。仕事場からも近い施設なので、これからどうなるんだろうと思っていました。

今年5月に記念館は閉館、8月には新潟日報新社屋に移転しました。あわせて建物の管理者である新潟市役所は、取り壊し、公園にするとの計画を発表。それに対し、新潟まち遺産の会はじめ複数の団体より、保存・活用の可能性はないのかと声があがりました。
同会はじめ連名にて、4月に1回目の要望書が出されました。しかし解体議案が9月議会にかけられるとのことで、2回目の要望書を提出。そこでようやく地元への説明会が開催されることになったそうです。
もしこのように陳情などの申し出がなければ、市役所内と市議会の決定で取り壊しになっていました。そう思うと市役所職員の権限というのは大きいんですね。

また、それよりも怖いなと思ったのは、記念館の取り壊しについて検討の余地があるのでは、との新潟まち遺産の会代表からの寄稿を新潟日報が一度、掲載を決めたにも関わらず急遽、取り止めにしたということです。新潟日報は、県内をはじめ新潟市内では特に高い普及率をもつ報道機関であり、市民への影響力は大きいです。
福島の原発事故以降、「官報複合体」とも言われるように官僚と報道機関の癒着により恣意的な情報隠蔽、印象操作があったことが指摘されてきました。(構造的にずっと前からある問題だったんでしょうけど…)。

見方によっては、新潟市役所と新潟日報の関係もまた、原発事故の報道にみられた(る)、「官報複合体」のようではないでしょうか。もしも「市民に考える機会と時間さえ与えない」ということになる(なっている)のであれば、それには反対したいです。取り壊すにせよ、保存・活用するにせよ、市民と行政とのよき対話のうえに、決定が下されるといいなと思いました。

(私がそうだったのですが)自分の暮らす地域の課題、問題から考える訓練をしておかないと、原発事故のように国を左右するような大きな社会的政治的問題を急に突きつけられても、なにをどう考えていったらいいのか、頭も身体も動かせませんよね。

編集室から自転車で5分ほどの施設の話だったので、なんだか現実感をもって迫ってくるものがありました。

2014年10月21日火曜日

「相談する」こと。新潟NPO協会の富澤さんを訪ねて

昨日は特定非営利活動法人新潟NPO協会の富澤さんを訪ねて、新潟で福祉関係の活動、取組をされている方々の事例についてお話を聞かせてもらいました。私のまとまりのない相談にも関わらず丁寧に応えていただきました。

「相談する」とはよく使われる言葉かもしれませんが、実際にそうするのってできそうでできないことだと思います。(私は特に苦手意識があります)。

どんな取組をされている人がいるのか、名称や概要などは「ネット検索」である程度わかります。そこからホームページや過去の資料、記事などを読んで参考にすることもよくあります。
しかし、あえてこうして直接顔を合わせることによってしか得られない情報の「質感」のようなものもあります。その声の質やトーンに、不思議と触発されて、わかってはいたこと、知識としては頭に入っていたことが、また違った角度から見直すことができたり、思い込みが振り払われたりします。時には、そもそも「ネット検索」すべきキーワードすらわかっていなかったということもあります(汗)。

わかっていることと、できることは違います。私にとって「相談する」「協力をあおぐ」ということもそのひとつです。個人の問題だから、自己責任だからと、閉じこもらず、「相談する」ことの大切さをふと感じた一日でした。

以下に新潟NPO協会さんのfacebook上の発信、宣伝いただいた記事です。LIFE-mag.のfacebook上でもシェア、発信しましたが、ブログにも記録しておきます。 富澤さんとは(facebook記事にリンクをつけてくれましたが)ちょうど6年前にこちらが取材していただくことがあり、知り合いました。私は当時、25歳・・・。かなり久々に記事を読み返しましたが、、、こんなこと言ってたんだな〜。


2014年10月12日日曜日

LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】制作中

LIFE-mag.vol.005【佐渡編】で取材させていただいた佐渡相田ライスファーミングの相田さんから会社案内を作ってもらないかと依頼をいただき、現在、制作中です。

今年の6月、編集室にお越しいただき依頼。LIFE-mag.っぽい誌面、構成で小冊子を作ってもらえないかと相談を受けました。その後、お互いにアイデアを出し合いながら形を模索してきました。

これは会社の「宣伝」という側面は薄いです。それよりは、一年を通じての農作業の様子、米づくりを一緒になって行う行政、農協、地元酒蔵、地元クリエーターとの取り組み、相田家の暮らしや日々の出会い、地域の芸能活動までを紹介するもので、佐渡という小さくも豊かな島での「ある農家の暮らしぶり」を紹介する小冊子になる予定です。

8月の下旬に4日間、相田家に滞在させていただき、打ち合わせ、取材、撮影を行いました。続けて9月上旬に2日間滞在し、打ち合わせ、取材、撮影を行いました。その後、9月中は私の方で編集室にこもって原稿作成、デザイン、編集作業を行いました。

また相田家のお米はシンガポール、香港をはじめ海外にもお客様がいるため、すべての原稿に英訳をつけることにしました。相田家という佐渡の米農家の暮らしから、日本の農業、地域、文化を知っていただけたらと思っています。

今回、編集・発行をLIFE-mag.で行い、『Niigata Interview Magazine LIFE-mag.別冊【佐渡相田ライスファーミング】』というかたちになります。A4版変形、36ページ。配布・販売は相田家が行い、お客様には配布するそうです。別途、希望の方には販売もするそうです。いまのところ500円前後の予定。LIFE-mag.のWebShopでも取扱予定です。

9月末からは、相田家も稲刈り〜海外での物産展・商談会への営業活動に入るということで一旦編集はストップ。11月下旬に今度はLIFE-mag.編集室にて最後の打ち合わせ、編集を行い発行します。

36ページあり、原稿も写真も英訳もみっちり入っています。ひとつの読み物、ブックレットとしても面白く読んでいただけるかと思います。表紙も地域の方々に協力いただき、ちょっとしたセットを組んで撮影しました。ぜひお楽しみに。

表紙撮影の準備中。田んぼに太鼓を持ち込んで...。

相田家のおばあちゃん。

地元デザイナーと米袋のパッケージ打ち合わせの様子。

相田家の田んぼには祠があります。

2014年10月7日火曜日

学校町に「スズキ家の茶ノ間」開店

仕事場のある学校町に「スズキ家の茶ノ間」が開店しました(先月ですが)。ようやく先週、行ってきました。古くより日本の暮らしにあった「座る生活」がテーマの家具屋さんです。

入口

2Fにはコタツも。すごく落ち着く空間でした。

座布団もたくさん種類がありました。

学校町通りの入口にあります。

また奥様がやっているスズキ食堂車(同じ店舗にあります)のサンドウィッチやタルトも美味しかったです。近所にいいお店ができるとうれしいですね。

お豆のタルト

2014年8月17日日曜日

「無名大陸」出演しました。

左・横田さん、右・鈴木さん、中・LIFE-mag.小林
今日はザツダン|新潟のコピーライター事務所の横田さんがするユースト番組無名大陸に出演させていただきました。

司会の横田さん、鈴木さんともにライターということで、普段の仕事内容も近く、質問にも本質に迫るものがありました。かつてないほどに本音トークも出ました。

が、ネット環境が悪く、配信が途切れることが多かったようです。見ていただいた方にはご迷惑お掛けしたかもしれません。すみませんでした。テープレコーダーにはばっちり録音されていたようですので、文字に記録されるといいのですが、、、それはお二人に期待。

お客さんの言葉にならない思いを汲み上げ、言葉にして表現していく横田さんのお仕事は学ぶべき点が多いと思います。ブログ、フェイスブック等で情報発信していますので、ぜひのぞいてみてください。

お世話になりました。ありがとうございました。

2014年8月15日金曜日

ユースト番組「無名大陸」出演




ザツダン|新潟のコピーライター事務所」の横田孝優さんが不定期開催しているユートリーム番組「無名大陸」に呼んでいただきました。8/1621:00〜チャンネル[http://www.ustream.tv/channel/mumeitairiku]です。

今回のテーマは「もの書くひとびと。」ということで、「書いて伝える」という切り口から、地域のことや、社会のこと、30代男の生き方までを語り合うとのこと。

新潟には文章を書くということを専門にしている人はごく少ないです。コピーライターである横田さんはそのひとり。コピーライターは、「書く」前にお客さんの目的や要望をしっかりと「聞く」ということをされているんだと思います。その上でさらに、お客さんの言葉にならない思いまでも「見える」かどうかがいい仕事ができるかどうかの分かれ道なのかな、と想像しています。

一応、ゲストとして出てくれないか、という依頼でしたが・・・。

横田さんがものを書く時、なにを「見て」「聞き」「書く」のでしょうか。これまでのお仕事をもとにして、むしろそっちの話を聞いてみたいです。都合がつきましたらぜひ見てみてください。

以下、横田さんの告知文です。
─────────────────────────────────────────
みなさま、盆・ジュール!
素敵なサマーバケーションを謳歌していますか?

元祖ダラダラ系Ust番組「無名大陸」です。
わすれたころに新作登場。やっちゃいます。

「LIFE-mag.」という雑誌をご存知でしょうか。
地域をテーマに、農家や職人、政治家など
さまざまな人物に対するインタビューで構成された一冊。
これまでに7号が発行されています。

以下、引用。
 『LIFE-mag.』は、何かのノウハウが書いてあるわけでもなく、
 流行を追いかけるモノでもありません。
 しかし、一人一人の多様な「生き方」からは、
 学び尽くすことの出来ない知恵や気づきがあると考えています。
 モットーは「生き方の多様さこそがその街の豊かさ」。

読んでみるとよくわかるのですが、
丁寧な取材を通して、人物一人一人の思いを掘り下げられていて、
編集やデザインにもたっぷりと手間ひまがかけられています。

そして驚くことに(でも新潟では有名な話)、
この雑誌はたった一人の手によって作られているんです。
取材も、撮影も、編集も、デザインも。
いやいや、それだけじゃなくて。
取材前の事前調査も、インタビュー対象者のアテンドや連絡、
印刷会社との交渉、書店への営業活動や納品…。
いやー、書いてて気が遠くなってくる。

前置きが長くなりましたが、
今回のゲストはこれらを一人で手がける
「LIFE-mag.」の編集発行人こと、小林弘樹さん。
(※無名大陸における無名人の定義=情熱大陸にまだ出ていないこと)

「もの書くひとびと。」と題して、
小林さんと、鈴木・横田の仕事の共通点である
「書いて伝える」という切り口から、
地域のことや、社会のこと、30代男の生き方まで、
めっこりどっぷり語ってみたいと思います。

◯放送日
8/16(土)21:00~22:30 ON AIR

◯チャンネル
http://www.ustream.tv/channel/mumeitairiku

◯ゲスト
小林 弘樹( @niigatalifemag )
 ・無名歴31年
 ・『Niigata Interview Magazine LIFE-mag.』編集発行人
   http://www.life-mag.com/

◯聞き手
鈴木 賢彦( @rimbock )
 ・無名歴38年
 ・某IT企業マーケティング部 コピーライター

横田 孝優( @yokota100 )
 ・無名歴32年
 ・新潟のコピーライター事務所「ザツダン」代表
  http://ztdnnet.blogspot.jp/

◯会場
ザツダン事務所(新潟市中央区万代島)

【観覧募集】
先着3名様まで、現地で観覧できます!
ご希望の方は何らかの方法でご連絡ください。

◯主題歌
「リピート」 歌:こたつ(http://kotatsu69.web.fc2.com/

2014年8月13日水曜日

金沢余話

右・塩井さん

先月の金沢取材でもう少し報告しておきたいことがあったので、ブログに書いておく。金沢のミニコミ誌「そらあるき」編集長、塩井増秧さんを訪ねた。

このご縁は「そらあるき」の新潟取扱店でもあるBar Book Boxさんの紹介だった。

質の高い写真と文章で編集されている「そらあるき」は金沢にとどまらず全国にファンが多い。ただの地元礼賛にならず、適度な距離感で、取材編集スタッフが直接取材し感じたことで綴られた記事が並ぶ。

実は3月の事前取材の時にも訪ねているので、お会いするのは2回目だった。この間、「そらあるき」も「LIFE-mag.」も渋谷ヒカリエの「d47 MUSEUM」で開催された「文化誌が街の意識を変える展」に出展。不思議な縁を感じた。

私は展示会に行くことはできなかったが、塩井さんからいろいろと話を聞くことができてよかった。三重県から出展の「kalas」がすごかったとか、など。

この時、聞いた編集エピソードをここにひとつ。「そらあるき」15号の編集を進めていく中で、志賀理江子さんの写真の反対ページが空くことに。他の特集記事などを持ってきてもどうもキマラナイ。

どうするか。志賀さんの写真に合うような文章を編集長である塩井さんが書くと宣言。

志賀さんの写真はここに掲載されているものも含め、シンプルな構図だが強度のある写真だ。「これに合う文章を書いてくれ」と言われたら、私は書ける自信がない。

そこを塩井さんは「俺が書く」と。「う〜、かっこいいっすね!」と私は何度も唸ってしまった。

当初から予定していたものをうまく組み合わせて誌面をつくったと思っていただけにこれはすごいなと思った。志賀さんの写真の隣に置いて、引き立て合える文章はなかなか書けないだろう。

「そらあるき」14号に「決める」という塩井さんのエッセイがある。塩井さんらしいなと思った一文をひとつ。
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この世の中は無数の決め事に満ちている。夜空に浮かぶ無数の星は綺麗だが、無数の小さな決め事がこの世界に張り巡らされているのを想像すると軽い嘔吐感を覚える。何故自分で決めずに「決め事」に従うのか、それはその方が簡単で楽だからだ。そこに考え抜いて闘う姿勢は全くなく、「決める」ことが他の人にとって都合の悪いことに触れたりぶつかったりするのを恐れているだけなのだ。
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言葉はきついが、無数の決め事と夜空の星々をくらべるロマンチックさがある。

また、「そらあるき」13号の特集記事を見て「金沢中央味食街」にも行った。地元の人でもなかなか入らなさそうなエリアだが、えいと入ってよかった。

と、ここまで書いてきて確認。塩井さんは18〜19世紀のイギリスアンティークを扱うお店フェルメールの経営者。取材、編集は本業ではないのである。

フェルメール

「そらあるき」、金沢を歩くさいにはもちろん、行ったことがない人にもおすすめ。「金沢そらあるきマップ」「そらあるき SHOP DATA」もまちあるきの役に立ちます。


左・某紙記者Hさん

また別の日、金沢勤務の某全国紙の記者さんと食事に行った。お店は主計町の「空海」。新潟勤務の頃に編集室に寄ってくれて知り合っていた方。

新聞という限られたスペースの記事にどれだけの背景や下調べが込められているのか、そのプロ意識を聞けておおいに刺激になった。「ほんとはもっと書きたい。削りたくない。それでも…、ということは何度もあったし、悔しい思いもしてきた」と語ってたとき、目頭を熱くしていた。

タクシーの運転手さんから聞いた話だけど、金沢の飲食店はなるべく電話してから行ったほうが気持ちよく迎えてくれるらしい。「これから行きます」でも「一人(とか二人)なんですけど」だったとしてもらしい。

能面体験

入口

空き時間にひとり、金沢能楽美術館へ。ひとつ前の企画「生きている老松/山本浩二」が見てみたかったが、会期終了後で残念。でも展示を見て、ちゃっかり能面も被らせてもらう。思っていたより視野は狭いし、呼吸もしづらかった。顔をふさがれ、これまで体験したことのないような圧迫感があった。

2014年8月6日水曜日

「乙女の金沢」主宰の岩本步弓さんを訪ねて

ちょこっとトレー

桐のつっかけ、kirippa(キリッパ)

火鉢
先日の石川取材で、桐工芸のお店・岩本清商店の岩本步弓さんを訪ねたときの写真です。

岩本さんはそのお仕事のかたわら、「乙女の金沢」を主宰しています。金沢に住んでいる人がおすすめする観光本『乙女の金沢』を編集・発行、またそこから「乙女の金沢展」という物産展を多数開催されてきました。その町に暮らしているからこそ見えるもの、こと、そしてその人を知っているからこそ紹介できるものを発信されています。

著書や過去の展示会記録を見るだけでもほんとうにたくさんの人が関わっています。そこには紹介される人、する人との良好な関係性もあるんだろうなと思いました。

乙女の金沢・http://otome.kirikougei.com/
岩本清商店・http://www.kirikougei.com/

2014年8月1日金曜日

LIFE-mag.vol.007【シネ・ウインド編】広告作例

LIFE-mag.vol.007【シネ・ウインド編】発行後、シネ・ウインドさんから声をかけていただき『月刊ウインド』に広告掲載させていただいています。せっかく作ったので後からでも見られるようここに記録用として広告作例を貼っておきます。

貴重な広告機会をいただきまして『月刊ウインド』編集部、シネ・ウインドにはあらためて感謝。いつもありがとうございます。

ウインド編と日本海編・その二

ウインド編と日本海編

日本海編。つくったのですが諸事情でボツ。

ブックスはせがわトークイベント用広告

連続対談「この街に吹く風」用広告

ウインド編の基本広告

月刊にいがたにも掲載

『月刊ウインド』表4広告