2011年7月27日水曜日

和菓子で涼を

























なんとも涼しげな和菓子でしょうか。
金魚が泳いでいます。
夏の真ん中。
こどもたちは夏休み。

今年もすでに折り返しています。
近頃は焦りとともに過ごしています。

2011年7月20日水曜日

夏の大地の恵

夏の大地の恵をありがたくいただく日々。
7月に入ってからは夏の野菜が盛りだくさん。
まずはジャガイモとタマネギを大量消費しています。

カレーを作ったり、
肉じゃがにしたり。
と、いうのも味付けが違うだけで、
材料はほぼ同じだから(笑)。



そして、ポテトサラダを作っては
彩りに紫タマネギを使ってみたり、
キュウリの緑と合わせて色が映えますね。
















そうこうしているうちに、
トウモロコシをいただいてきました。
ありがたい。

白根のものだそうで、朝取りでした。
甘みがギュギュッとつまってました。




ゆで上がり!





















新潟の夏はなんと食に恵まれていることか。

蛇足ですが、
昨今のニュースを追っていると、「食」の自給、
もしくは独自の入手ルートといったものが必要なのではと思います。
また、エネルギーに関しても、個人なのかある小さなコミュニティ単位なのか
自給できることが必要なのではと思います。
食とエネルギーの自給について、ひとつアンテナを立てたいと思います。

2011年7月14日木曜日

フォントへの愛・街の見方を一変させる

私は友人・知人に勧められた本はたいてい読むことにしている。
(たぶん9割がた読む。買わなくとも本屋で手に取る!)
自身の偏狭な視野を広げてくれるかっこうの機会だからだ。

今晩、手に取った本もそのひとつ。

























『フォントのふしぎ』小林 章 著・株式会社美術出版社

この本もまたページをめくるのが本当に楽しい。

著者の小林氏はドイツにあるライノタイプ社に勤めるタイプ・ディレクター。
語り口はあくまで小林氏の「生活」の中から語られる。

たまたま寄った市場で見た文字。
出張先のイギリスで見た看板。
チョコレートを買ったさいの紙袋。
有名ブランドのロゴマーク。
地下鉄や高速道路の標識。
古代ローマの建造物。

























そんな例を挙げながら、「実はね、このフォントはね、」
とやさしく解きほぐす。

早速、自宅のマックに入っているフォントに関しては、
どんどん試す。(これが楽しい)

本書にも出てきたsunToRYサントリーは(笑、読むとわかります)
自宅にあったペットボトルでも確認出来た。

そして、新潟の「イタリアン」についても話は流れ。

フォントへの愛をここまで感じてしまうと、小林氏の作った「Clifford(クリフォード)」を
使ってみたくなる。
デザインを生業にしている訳ではないんだが...そういう気分にさせる(笑)。

私にとっては、街歩きを一変させるかのような本だった。
「フォント」という新しい視点を持って、今一度、街を見ていこう。
きっと楽しくなる。

2011年7月12日火曜日

独学の精神

まだ梅雨のさなかだった。
阿賀野市にある吉田東伍記念博物館を訪ねた。
道中、どしゃぶりの中、なんだか気が重いなと思っていたが、
博物館の庭の苔や石がいい色だったのでそれも吹き飛んだ。
庭を見るには雨のほうがいいのかも。


















1907年(明治40年)、一人の在野の研究者が「大日本地名辞書」を書き上げた。
1,200万字におよぶ辞書を12年と2ヶ月にわたって。
休みなく書いたとしても、400字詰め原稿用紙で6枚/日となる。
日本全国の地名にまつわる由来・風土・歴史をまとめていった。
文献を読み解き、史実にもとづいた内容を整理し、判断する作業の繰り返しだ。

そんな偉業を成し遂げたのが吉田東伍。
越後国北蒲原郡安田村の旗野家に生まれる。



















四つの学校を変えたあげく、新潟学校中等部に移るも
中退。
学歴を問われると「図書館卒」と答えたそう。

作業に取りかかったのは32歳。
海軍記者として日清戦争に従軍するもマラリアに関わり療養のため帰郷、その年の9月頃着手。

展示の中で興味深かったのは、
辞書の項目分け。行政が敷いた区画単位でない、古来からその土地のもつ歴史風土、共同性をふまえた区分けにされていること。
1906年(明治39年)から明治政府によって進められた神社合祀にも強く反対したこと。
歴史を語るときも古代から学ぶのではなく、現在(いま)から始まって、古代へと学びゆくこと。
あとは使用していた机の置物がかわいい猫だったこと(笑)。

私の住まい「鳥屋野」や実家の「和納」の項を引いてなるほど〜!!
と面白かったです。






















博物館近くのラーメンのろしを食べて帰宅。
ちょっとしたドライブにぜひ。

2011年7月11日月曜日

あの絵に会いに行きたいと

すでに真夏のようなうだる暑さの続く新潟。
夜もまた暑い。

どこか気持ちだけでも別世界にもってってくれないかと思い
ある夜、手に取った本がこれ。(知人から借りました)

『名画の館から』大川栄二著





















群馬県桐生市にある大川美術館の館長が地元紙「桐生タイムス」に寄稿した文章を本にまとめたものです。
大川氏の解説つきで、美術館を案内されているかのような気分になりました。
そして、大川氏が心の底から芸術を愛していることが伝わる文章がなんとも楽しい。
作家ごとの生い立ちや死に様、大川氏がその作品をどうとらえたかをちょうど良い文量で掲載されて、ページをめくるリズムもまたワクワク感を損なわずにいい。





















ベン・シャーンの「ベンチの人」(1930年頃の作品)の項では
こう語りかける。
「この荷物の中に、何が入っているのでしょう。死んだお母さんの形見かな、それとも歯ブラシかな、下着かな。豊かなアメリカの裏側にこういう人達がいることを世に訴えている、心の優しい絵なのです。」

絵を楽しく観るのに大川氏がそっと側で、語りかけてるかのような一文。





















藤田嗣治の「若い女」(1913年頃の作品)の項での
解説には
「渡仏直後の高揚した時期の作品であり、青年ピカソと交遊していた時期だけに当時彼が興味を持ったアフリカ彫刻の臭いが強く感じられる佳品です。」

美術史に知識のない私にとっても作家のおかれた状況を垣間見るのにありがたい文章。





















須田剋太の「作品」(1960年代の作品)の項では
日本人に欠けている点にまで話は及ぶ、
「この抽象画は切り裂かれんばかりの筆致、たたき付けた絵具で主張する自己の心の動きは、まさに須田だけの世界です。有名よりも無名を、新しさよりも古きに徹することで、本当の新しさは生まれるという信念を持ったすごい画家です。」
「これは画家に限らず、人生何にも通ずる人間の極意であり、いま日本人に一番欠けている点といわれています。これからの国際化の時代には、古いものを愛せない人間は駄目です。絵を好きになる人には、こういう人はほとんどいないのです。」

大川氏は三井物産やダイエーでキャリアを重ねてきました。その経歴から、世界から日本を見てこの文章が出たのかなと想像しました。





















中川紀元の「婦人像」(1920年頃の作品)の項では
マティスに影響を受けすぎた中川紀元を
「この絵はマティスに直接教えを受けた時期のもので、平面的な構成のもと、大胆に、そして装飾的に生きた線を重ねた絶品ですが、どうしてもマティスが浮かんでくるのが残念です。」
しかし、小生にはかつて会社から疲れて帰った応接間で温かく迎えてくれる、西洋の肝っ玉かあさんでありました。」
と、あくまで自分の体験に引きつけて語っていく文章もいい。


読後、これらの絵に会いに行きたいなと思いました。
そこで、自分はどう思うのか。
群馬県なら小旅行にちょうどいい距離、一年以内の計画に。

一冊の本が真夏の夜、私を遠くへ連れて行ってくれました。
一気に読み通すと、時刻はとっくに日付をまたいで深夜へ。